2019年 8月
                リアリティーのある映画を観てきました
                                        
                          堀切教会牧師  真鍋 孝幸       
 フィクションとノンフィクションの間と思わせる映画「新聞記者」を観てきた。原案は、東京新聞記者望月衣朔子さんの同名ベストセラー「新聞記者」であるという。

 著者は森友・加計学園疑惑、辺野古米軍基地移設問題などの不都合な事実について、官邸記者会見で鋭い質問を発し続けているジャーナリストである。

 荒唐無稽と思われる内閣情報調査室が描かれている。公安とタッグを組み現政権に対して不利と思わせる人を尾行し、スキャンダルでその人を組織から抹殺する。首相肝いりで「医療系大学の新設」そこでは非極秘裏に戦争で使用される「神経ガス」の開発計画が着々と進められる。

 外務省から出向してきたエリート官僚は、出向で内閣調査室で働いている。かつての上司はそのプロジェクトの責任者で、その内容を新聞社に告発し、自ら命を絶つ。「自死」に疑問を抱いたエリート官僚は、若手記者とタッグを組んでその内容を新聞に告発する。その内容はスクープとして一面に掲載される。上司の調査室室長は、それは誤報であるという筋書きで対応し、若手官僚エリート官僚は、上司にプレッシャーをかけられ、その内容は泡と消えていく。と言う社会派エンタテイメントである。

 平日にもかかわらず8割弱の「席」は埋まり、映画館を出ると、次の映画上映を観る人たちが入ってきた。そこには元首相の細川護熙氏もいた。

 マスメディアも自ら現政権に忖度して、意図的に報道規制している現状、先進国で著しく「知る権利」が阻害されていることを憂いている人たちがそこにいた。しかし残念なことにロングランとなっているこの映画に若者の顔は少なかった。

 今回の参議院選挙の投票率は50%に満たなかった。特に若者は選挙に行かず、行く若者たちは現政権維持を投票というかたちであらわした。

 マスコミもあえて無視していたと思われる「れいわ新撰組」から特定枠で出馬した2人の方々が当選した。

 1人は脳性麻痺の木村英子さん、もう1人はALSの船後靖彦さんである。重い障害のあるお二人が国会議員となることで、当事者の「声」が発出することを願っている。生産性で推し量れる社会は健全だとはいえない。この二人の当選が新しい道筋を作ることを切望してやまない。

 非正規労働者が4割となっている。この国で益々生産性という言葉が重くのしかかる。「京アニ」の放火殺人を犯したとされている人も非正規労働者であるという。デフレが20年間続いているこの国で生産性が少ない、役に立たないとレッテルを貼られ続けている人たちには明日がない。と言う現状を無視していると第二、第三の事件が引き起こされるかもしれないと懸念している。

 イエスの時代、極貧に喘いでいる人たちが満ちていた。それは今言われている「貧困」とは想像もつかない状態であった。イエスはそのような人たちに「神の国」を語られた。彼自身もそのような境遇に置かれた人であると考えている学者たちも少なくない。そのような人たちに彼は「貧しい人々は、幸いである/神の国はあなたがたのものである。」(ルカによる福音書6章20節 聖書協会共同訳)と語られた。その人たちに生きる勇気と希望を語られた。別の言葉で言えば「だいじょうぶ!心配はいらない」と語られた。

 あの「新聞記者」で描かれていることは確かにフィクションであるに違いない…けれどもその映画のリアリティーを感じたのはわたしだけではあるまい。

 憲法9条に一項が加わる準備が着々と進められている。現政権では無理であるとしてもその意志は次の政権に引き継がれ、「自衛隊」が自衛軍となる日もそう遠くないかもしれない。そのような中で、私たちは何をしなければならないのか、今の自分に何ができるのかを問わねばならない。と映画鑑賞後のわたしは考えている。