2017年 7月
          出エジプト記を過去の物語としてはならない

                堀切教会 牧師真鍋孝幸
 最近の「安倍内閣」には逆風が吹き荒れている。側近だけではなく首相が関与していることが疑われている「森友」、「加計」問題、防衛大臣の資質を疑われても仕方がない不適切な発言、安倍チルドレンと言われる議員の秘書へのパワハラと暴行、終幕が近いと思わせるような出来事が連日のようにマスコミをにぎわせている。

 8月内閣改造が行われると言われているが、それまで安倍首相は安泰なのだろうか。数々のスキャンダルにまみれているこの内閣はこれから先どこに行くのだろう。

 しかしこの内閣が「戦争ができる国」とするレールを敷いてきたことは紛れもない事実だ。第一次「安倍内閣」では「教育基本法」が変わり、第二次「安倍内閣」では「特定秘密保護法」「集団的自衛権行使容認」そして「共謀罪」これらの一連の流れを新しい「戦前がはじまった」と思うのはわたしだけではあるまい。

 戦争を知らない世代に生まれたわたしは、「教育勅語」「治安維持法」「特高警察」もましてや日本軍が沖縄戦において非戦闘員の人々を守らず、集団自決に追い込んだことも知らない。そのような暴挙は一部の軍人の暴走と信じたい。けれどもそれは紛れもない事実である。

 二度と戦争はしないとあの「敗戦」で日本は世界に向けて誓い、そのことを明白にするために憲法9条を守り続けてきた。自衛隊は「違憲」であると少なくとも55年体制の時は国民の半数はそのように考えてきたはずだ。けれども災害救助のスペシャリストとしての自衛隊がクローズアップされ、また北朝鮮からのミサイル攻撃の脅威が過剰なかたちで報道される中で、「専守防衛」の枠組みが見直されてしまった。

 着実に「戦争が出来る国」「普通の国」となってしまってきている。今後はトランプ政権の意向を忖度して、防衛費がGNPの1%ではなく、2%となる日はそう遠くはないと思われる。

 6月26日~28日北海道で開かれた「第13回部落解放センター全国会議」に出席した。今回のテーマは「今、アイヌモシリで差別を考える」であった。

 先住民族アイヌの歴史と文化を学んだ。交易によって共同体を営んできたアイヌの人々に対して、ある種の偏見がまことしやかに語られ、言語も名前も奪われた。

 日本は朝鮮半島を植民地化する前に既にアイヌ民族・琉球民族を取り込み国内併合し、「同化」政策を推し進めた。その結果、彼/彼女らの歴史、価値観を重んじられることなく、研究の名目で彼らの墓は掘り起こされ、遺骨は大学の研究室に持ち去られ、頭蓋骨には番号がつけられた。

 今でも南方などで「遺骨収集」が行われ、見つかったら丁重に扱われ、供養されているのにアイヌの人たちの遺骨はそうではなかった。北海道大学をはじめとする国立大学に研究材料として保管された。この事実を今回の全国会議前に読んだ推薦図書『アイヌの遺骨はコタンの土へ』を読み、衝撃を受けた。

 少数者の人権が重んじられる社会こそ「平和」な社会である。マイノリティとは単なる少数者を指すのではない。抑圧され、差別されているすべての少数者のことを指す。

 聖書にはモーセが神の命令によって、エジプトからヘブライ(イスラエル・ユダ)人を救出する物語が「出エジプトの物語」として語られている。神はマイノリティに先ず、そのみ手をさしのべるためにモーセを用いられた。

 「出エジプト記」の物語は過去の出来事ではない。今も抑圧に苦しめられているマイノリティの一人びとりの物語である。

 茶色の朝になった時、この物語は語られなくなる。語られたとしても歪曲したかたちでしか語られなくなる。

 そのような時代にしてはならない。そのために私たちは正義を祈り求め、示された道を歩まねばならない。