証人喚問報道を聞いて
                 
                                 堀切教会牧師 真鍋孝幸
 いわゆる「森友問題」は漸く1年が経って何が問題だったのか、安倍首相、安倍昭恵氏(本来は私人)そして政治家の関与はあったのか、官僚は真実を話したのか、現在拘留中の森友学園前理事長籠池氏の国会での証言は虚偽だったのかなどが、明らかにされようとしている。

 また前文部事務次官の前川喜平さんに対して政治家の介入疑惑、自衛隊の南スーダンの「日報問題」など。いずれも現政権下で起きた問題である。

 ある政治アナリストは一連の問題に対してこのようにコメントしていた。「安倍一強」「自民党の驕り」「官僚の萎縮」支持率の急落に伴い、ポスト安倍は誰になるのかを、証人喚問後マスコミは取り上げるのだろうか。

 テレビでは日本の官僚(キャリア)がどれだけ優秀なのか、秀才中の秀才で論理的思考に徹する人、普通の人なら何日もかかるであろう仕事(事務)を効率的に成し遂げられる人というようなある意味「神話」が官僚出身のコメンテーターがしていた。27日「証人喚問」をされる予定の佐川宣寿氏もそのような人なのだろう。言質を取られない答弁は官僚にはかかせない資質であるとそのコメンテーターは強調していた。

 公務員は権力を握っている政治家の道具でもましてや防波堤でもない。憲法では「全体の奉仕者」であり、権力者に阿(おもね)る、長いものにはまかれ、自分よりも力のないものには高圧的な態度で接するような公務員がいる国は滅びへと向かっているとわたしは思うのだがそれはわたしだけではあるまい。

 政治家は選挙によって、官僚は難関な試験をクリアしたものが国民から付託されてその役割を担う。だからこそ、不正は許されないし、ましてや「公文書」を改竄することなど考えられないし、あってはならない。前代未聞の公文書の改竄は近畿財務局職員の痛ましい「自死」によって公にされた。

 自衛隊の南スーダンの「日報問題」からはじまり今、問題が露呈化しようとしている。「森友問題」はその一連の流れとして捉えることが出来る。 

 今、教会はレントの期間を過ごしている。そして3月25日は「棕櫚の主日」を迎える。イエスは子ロバに乗ってエルサレムに入城する。馬は戦いの道具であるが、ロバは戦闘に役立つ動物とは言えない。ましてや子ロバはその最たるものである。イエスは十字架に架けられるための一週間を過ごされる。

 イエスは弟子たちに「最後の晩餐」の前に一つの行為をされる。それは木曜日だと伝えられている。イエスは弟子たちの足を洗われた。当時足を洗うのは奴隷が行う仕事であった。ペトロが「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」「わたしの足など、決して洗わないでください」とその行為に対して戸惑っていたことを福音書記者ヨハネは記す。しかもその中にはイスカリオテのユダもいた。すべての弟子の足を洗い終えると、「あなたがたは互いに足を洗わねばならない」と言われる(ヨハネ福音書13章から)。そしてイエスは「異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちは権力を振るっている。しかし、あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕となりなさい。」といわれている(マルコ10章42~43節)。

 わたしたちは、虐げられた民衆に徹底的に仕えるイエスを聖書を通して知っている。イエスは、仕えられるためではなく、仕えるためにこの世に来られた。

 果たして27日の「証人喚問」で何が明らかにされるのか、何も明らかにされず終わるのか、その答えは「証人喚問」後にしかわからない。

 国民のための政治家、官僚であるのか、忖度で我が身の保全に終始するのか、そのことを注視しながら、佐川宣寿氏の表情をそしてその答弁の時に安倍首相、麻生財務大臣、安倍チルドレンの議員たちがどのような表情をしていたのかが、わかれば「真実」は明らかになるのだろう。報道カメラマンの皆様、どうぞナイスショットをお願いします。