2018年12月
                       マリアの賛歌を聴くために    
                                  堀切教会牧師 真鍋孝幸
 2018年があと一ヶ月で終わろうとしている。2019年がどのような年になるのだろうか、先が見えない。

 新聞は日産を立て直し、日産、三菱自動車、ルノーの三社のCEOで世界的経営者、経営のカリスマのカルロス・ゴーン会長が逮捕されたことを連日報道している。逮捕理由はその有価証券報告書記述である。その後、日本とフランスでのゴーンに対する見方、クーデター説なども報道され、なぜ、逮捕に至ったのか、どのようにして私物化が顕著となっていったのか、今後三社はどうなるのかを含めて様々なコメンテーターが諸説をコメントしている。「朝日新聞」は“ゴーンショック”という特集を組み、彼の功罪を述べているが、その中でコストカッターの彼が私欲に満ちた人間であるもう一つの顔を書いている。

 新自由主義の中では、「格差」はますます拡がり続け、世界の経営者たちは高額の報酬を当たり前のように受け取っている。小菅拘置所に収監されているゴーン氏が何を考えているのかはわからないが、犯罪をおこなってしまったという自覚があるのだろうか、保釈された後の彼の第一声がどのように発せられるのか、聞いてみたいと思っているのは私だけではあるまい。

 わたしたちはゴーン氏を金の亡者として批判し、自分たちがそのような立場に立ったとしても同じような事は決してしない、と思っているのだろうが、果たしてどうなのか。

 トランプ氏が米国大統領に就任して打ち立てた様々な「排他的政策」を批判する時も自分ならばそんな無慈悲なことはしない。メキシコ国境に壁を作り、中南米の移民を暴力も厭わず排除すると豪語し、軍隊に国境の警備をさせている彼を批判するが、果たして同じ立場に立ったとき、ラストベルトと呼ばれている人々を説得できるだけの力があるのかといえば、自信はない。

 ドイツのメルケル首相は東ドイツの出身で、彼女の父親は牧師で、彼女がどのような環境の中で育ったのか、クリスチャンとしてどのような信仰を持ち、価値観が養われたのか、政治家としての信念が書かれた彼女の『私の信仰』(新教出版社)という本を読んだ。その中で移民政策についてこのように語っていた。

 「わたしは困難な課題に直面していますが、この課題を引き受けないわけにはいきません。ドイツは法治国家です。法治国家は助けを必要としている人に援助を提供します。しかしこの援助を今後も続けるために、法治国家としての手続き上、ドイツに滞在権を持たない人々に対しては、この国を退去せよと伝えなければいけません。このことも、すべてのプロセスに秩序とコントロールを与えるために必要です。わたしたちは政治の世界において、共に学んできました。すなわち、早く決定を下せば下すほど、当事者にとっては好ましいということです。一家族全体を何年間も自治体で受け入れて世話をし、その土地での人間関係ができたあとになって国外退去を通告するほど、残酷なことはないからです。ですから決定は、より早く下さねばいけません。(2017年1月23日 バイエルン州ヴュルツブルク「人々の連帯と開かれた社会とは矛盾しない」より)」

 いくらでも入る風呂敷であれば、すべての人を受け入れることは出来る。しかし限られたいれ物は必ず風呂敷からこぼれ落ちてしまう。という現実がある。

 良心の政治家として世界に知られている彼女をしても、緊急事態には対応できてもそれ以上のことには限界がある。ということをわたしは考えさせられた。

 教会はアドベントに入り、クリスマスの準備であわただしい。移転した教会のみかんの木にクリスマスのイルミネーションを施そうとして、今準備中だ。

 その前に「収穫感謝日」の礼拝が行われる。みんなで分かちあう尊さをわたしたちはあの美しい物語を通して考える。

 すなわち、先住民と入植者の物語を通して(この物語には政治的な脚色があるとのことだが)現代社会を考えることになる。

 ゴーン氏とトランプ大統領をステレオタイプで批判することは簡単だ。しかし、自分は…どのような立場で発言するのか、考えずに発言することはひかえるべきであろう。

 大きな物語を聖書を通して知らされているものとして、イエスがこの世に来られたこと、(受肉)されたことの意味を心に受けとめ、あのマリアの賛歌(ルカ1章46~56節)に耳を傾けよう。