【私たちに出来ること】 6/19

ヨハネ福音書6章1〜15節

 共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)とヨハネ福音書にイエスが、5千人以上の人々に五つのパンと二匹の魚でそこに集まってきた人々を満腹させたことが記されています。

 共通点としては、@集まって来た人の人数が男だけで5千人であること、Aもしもその人たちに夕食を配るとすると、二百デナリオン(労働者の1日分の賃金)も費用がかかってしまう。Bそれだけの持ち合わせはないこと、C組に分けて座らせたこと。D感謝の祈りを唱えて、パンと魚をイエスが分けられたという点Dパンの屑と魚の残りを集めると12の籠にいっぱいになったこと。

 それと同時にそれぞれの福音書に微妙なニュアンスの違いがあることに気づきます。けれども、今日は、そのことについてはふれることは致しません。ただ一つだけ、ヨハネ福音書だけに記されていることについてふれることにします。

 それは、この五つのパンと二匹の魚を差し出したのが、「少年」である。という点です。マルコやマタイには、そこに集まって来た群衆(マルコ6:34他)がどのような人々であったのかを注目していますが、ルカとヨハネは、その点に関しては無関心です。これらの点を踏まえてヨハネ福音書を読むとき、様々なことに気がつきます。ヨハネだけが、その場所を「山」であると記しています。聖書では、モーセがシナイ山で「十戒」を授けられたように、神さまと繋がる特別な場所であると考えられるのが、「山」です。しかも、新約聖書では「山」(海・舟も)は教会を象徴しています。イエスは、「山上」で神の国の福音を語られました。
 
 今日は、先週に引き続き合同礼拝となりました。そのため、こどもさんびかの21番をリタニーと合わせてプリントしておきました。ここには、この物語のエッセンスが歌われています。五つのパンと二匹の魚がどのようなすばらしいことをもたらしたのかが、歌われています。

 東日本大震災から、昨日で100日が過ぎました。今月号の『信徒の友』には、特別報告として東日本大震災の中で、被災した教会(カトリック・日本聖公会)・教区(奥羽・東北・関東)・関係施設としてアジア学院のことが記されています。その報告を読みながら、それぞれの教区のニーズが違うことがわかります。ニーズに合わせた援助をするとは、どういうことなのか、もう一度立ち止まって考えねばならないと思いました。

 被災した教会がなすべきこと、それは聖書のメッセージを語り、祈ることです。けれども、それだけにとどまっていてよいはずがありません。阪神淡路大震災の時、「地域の復興なくして、教会の再建なし」といわれました。このような姿勢で、教会が地域に関わるとき、宗教の垣根を越えた宣教ができるのだと思います。

 少年は、僅かなパンと魚をイエスの所に差し出します。すると、そのパンと魚で5千人以上の人々が、満腹しました。

 最後に『信徒の友』に掲載されていた新生釜石教会の柳谷雄介牧師の礼拝説教「今こそ、祈りの時」の一部を紹介します。
 「今こそ祈りをもって食べ物も分かちあって、心も分かちあいましょう。み言葉が真実である、そのことをこの釜石の街から証ししていきましょう。」
 
 この説教が語られた「現場」を理解し、「私たちの出来ることは何ですか」と祈りつつ、歩みたいと願っています。

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