【みんなでお祈りしていると】 6/12
使徒言行録2章1節〜13節  ペンテコステ合同礼拝
 
  ルカは、「福音書」の続きとして、使徒言行録(使徒たちの失敗と成功の実践を記録)を書きました。ここには、初代の教会の様子がルカの筆によって描かれています。復活したイエスさまは「神の国」の福音を告げ知らせるための最後の教育を弟子たちに40日間にわたってしました。そして、この地上を去り、父の御許に帰るとき弟子たちに言われます。 「エルサレムから離れず、前にわたしから聞いた、父の約束を待ちなさい。」弟子たちはこのイエスの言葉を心に深く受けとめる祈りの共同体(120人)へと成長していました。

 そのような共同体に聖霊が降ります。すなわち「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らの座っている家中に響き、そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまったのです。すると、聖霊に満たされた彼らは、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉を話し出します。これが、ペンテコステの出来事です。
 ペンテコステ(五旬祭)とは、元来はユダヤ教の三大祭りの一つである収穫祭でした。(レビ記23・15〜16節)過越祭から数えて満七週を数えた五十日目に当たります。今日はこの風と炎と舌という言葉から考えてみましょう。

 一番目は風です。風は教会にいのちを吹き込む神の息です。また教会を刷新するために吹き込まれる新風として語られます。使徒言行録を読むと、この風(聖霊)を受けて船(帆船)は航海をしますが、さかまく「波」を受けるとたちまち難破を余儀なくされます。(使徒言行録27・13〜44)このさかまく「波」とは、巨大な破壊力をもつ世間的価値観(権威・能力・名声への指向から生じる抑圧と差別)を暗示しています。教会の歴史を紐解けば教会はこのさかまく「波」に翻弄され続けてきました。それは神さまの御心を悲しませることです。私たちはこの教会という船を難船させることなく航海を続けて行かねばなりません。

 二番目は炎です。炎は沈み込んだ人々に力を与え、冷えた心に信仰を燃え立たせる火です。すなわち、教会に希望を与え、元気づける力を持っています。

 三番目は、舌です。炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。とあります。この舌は言語を意味します。すなわち多言語の奇跡が起こったと記されています。世界の人口は約65億人です。「世界が100人の村だったら」としたら、57人がアジア人、21人がヨーロッパ人、14人が南北アメリカ人、8人がアフリカ人だそうです。これらの人々が、どれだけの言語で話すのか、想像することは出来ません。けれども、子どもさんびかの140番には、いろいろな国で「平和」という言葉がどのような言葉なのかが、記されています。

 不思議な風が、びゅうっとふきました。そして教会は誕生日を迎えることが出来ました。けれども、この風をいつも私たちは感じ取らなければなりません。この風を感じ取るための装置は私たちには、備わっていません。その風を感じ取るために、私たちはお祈りをすることを決して、忘れてはなりません。
 
 今、東日本に住む人たちは、地震と津波で家を失い、仕事を失い、家族やペットを失った人たちが大勢います。そして福島の第一「原発」の事故によって多くの人たちが、事故が収束するまでは自宅に帰ることが出来ないでいます。このような人たちのことを覚えてみんなでお祈りをしましょう。