【正義を洪水のように】
 平和聖日合同礼拝メッセージ   
   アモス書5章24節、エフェソ信徒への手紙6章24節 

 昨日、広島平和公園では71年目の「平和記念式典」が行われました。そして地球の裏側であるブラジルのリオデジャネイロでは南米発のオリンピックがはじまりました。

 新聞やテレビの報道によるとブラジルの6割近くの人たちは心から歓迎出来ない中でのオリンピック開催となりました。医療、その他の公共サービスが停滞しているのに、なぜ、オリンピックをお祝いできるの?というのが理由の一つです。

 いつも為政者(国のリーダの人たち)の犠牲になるのは抑圧され、差別され、虐げられている人たちです。経済格差によって明日の生活もままならない人たちがいる中で、その人たちを置き去りにして「平和の祭典」と言われるオリンピックが行われる現実をわたしたちはどのように受けとめれば良いのでしょうか。そのような中でのオリンピック開催となりましたが、感動した場面がありました。それは「難民」の人たちが各国の選手団同様「難民選手団」として入場した時でした。

  地球環境問題にスポットを当てた今回のオリンピックではアスリートによって多くの世界記録が生まれることでしょう。そのような記録に感動するだけではなく、戦禍の中で参加した選手の人たちを、わたしたちの記憶に残しておきたいものです。

 今日はアモス書とエフェソ信徒への手紙のそれぞれ一つのみ言葉を心に留めたいと思います。アモスは神さまの言葉を人々に伝える預言者です。彼はそのために特別な勉強をした人ではありませんでした。自分を「テコアの牧者です。」(7・14)といっています。彼は人々が神さまの正義と公平を蔑ろにするならば裁かれると、厳しく語っています。正義とは神さまの御心に生きることです。困っている人、悲しんでいる人、苦しんでいる人たちがいるのを忘れて神さまと繋がるための礼拝は本当の礼拝(「祭り」)ではない。神さまの御心ではない。とアモスは言います。

 本当の平和とは戦争がない状態ではありません。本当の平和とはみんなが安心して暮らせる社会です。そこには差別、貧困、経済的不平等、格差、政治的抑圧、そこには飢餓はありません。そのような社会をノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングは「積極的平和」と言います。これはインドの平和学者スガタ・ダスグプタの「南の世界(いわゆる開発途上国)においては戦争がないからといって平和とは言えないし、戦争がなくてもおびただしい死者がいる」という言葉を受けてのことだといわれています。

 讃美歌424番「美しい大地は」は、ヤコブ書5章4節のみ言葉から生まれました。神さまはわたしたちにすばらしい大地を与えて下さいました。それは神さまがお造りになられた「被造物」すべてのものです。人間だけのものではありません。今からお祈りをしますが、その後にみんなで「平和の祈り」をいっしょに祈りたいと思います。これはアシジのフランチェスコのお祈りとして知られています。フランチェスコは小鳥にも神さまのお恵みを語ったと言われています。みんなが幸せに神さまの「宇宙船地球号」の乗組員として歩むために、共に「主の食卓」に与りましょう。

 わたしたちの罪のため、平和をもたらすための架け橋(エフェソ2・14)となられたイエス様といっしょに歩みましょう。