【神さまのこども】

サムエル記上1章12~28節  

 神さまはすべての人々を祝福されます。そしていちばん最初に祝福されるのは「小さくされた人々」です。この社会では勉強が出来る人、能力がある人、健康な人、お金持ち、スポーツが出来る人、力がある人、リーダーシップのある人が尊敬され、大切にされますが、神さまは違います。

 今日は「子どもの日」・「花の日」です。なぜこの日がはじまったのか、そのことは週報の裏に簡単に書いています。読んでください。今、読まれて聞いた聖書の箇所はサムエル記です。サムエルはたくさんの力が与えられた神さまのご用をする祭司です。彼はイスラエル最初の王サウルと偉大な王として語り継がれたダビデに「油を注ぎました。」これによって二人は名実ともに王(メシア)として人々から認められました。サムエルのお母さんの名はハンナです。彼女はいつも神さまを第一とした生活をしていたのに子どもがいませんでした。聖書の時代には、これは非常に大きな苦痛でした。このことがハンナを大いに苦しめ、悩ませます。夫エルカナはハンナを愛していましたが、もう一人の妻ペニナには子どもたち(息子、娘)がいたので、たくさんの分け前がペニナには与えられましたが、ハンナには一人分の分け前しか与えられませんでした。「どうしてなの?」きっとハンナは神さまに対して不満があったと思います。ある時ハンナはこんなお祈りをしました。「万軍の主よ、はしための苦しみをご覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授け下さいますなら、その子を一生主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」(サムエル記上1・11)このお祈りがあまりにも長く、声も聞こえないのでその場にいた祭司エリはお酒を飲んで酔っぱらっていると思いました。けれどもそのお祈りが切実で真剣なお祈りである事がわかり、「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえて下さるように」と言い、その結果不思議なことがおきました。それはずっと生まれなかったハンナに子どもが生まれたのです。そしてハンナはその子をサムエル(その名は神)と名付けます。かなえられた感謝のお祈りが2章に書かれています。そこには神さまが、いちばん小さくされた人々から救って下さることが記されています。サムエルはすばらしい祭司でした。サムエルは与えられた能力を自分のためにではなく、神さまのご用のために用いたのです。ハンナの祈りとして知られているこの祈りは「マリアの賛歌」と共通します。また神さまってどんなお方?と言うことが書かれている詩篇113編の7~8節とも共通しています。

たくさんのお花が正面に飾られました。この花は後で病気の人たちにプレゼントします。神さまの子どもとは、神さまの御心を行う人です。勉強が出来る、スポーツが万能であることはすばらしいことであるには違いありません。けれども神さまの物差しは違っています。神さまの物差しは困っている人、人々がいちばん後回しにしている人たちに注がれています。神さまの子どもはそんな神さまの眼と物差しを大切にする人です。それは自分の痛みのように苦しむ人の痛みを感じ、行動する人です。神さまの子どもとしてここに集められたみんながハンナの祈りを献げることが望まれています。みんなでこの祈りを大切に、今日の子どもの日・花の日の礼拝をささげましょう。