【祈りの家のはずが】
 棕櫚の主日 ルカ19章45~47節

 私たちは棕櫚の主日を迎えた。イエスが十字架に架けられた「受難」を覚え、受難週を過ごしたい。子ロバに乗ってイエスはエルサレム入城後、神殿で過激とも思える行動に出られる。それが「神殿から商人を追い出す」行動に他ならない。この「事件」は、すべての福音書に記されている。しかしヨハネだけがイエスの宣教の開始にこのような行動をとったと記す。(ヨハネ2・13~21)他の福音書と読み比べると、明らかに違っている箇所がある。ヨハネには「祈りの家」という言葉は出てこない。そして「神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。神殿とはご自分の体のことだったのである。」ここには復活が語られている。それに対して、共観福音書にはそのようなことは書かれてはいない。しかも、ルカの記事は極めて短い。コンパクトである。

 ルカにとって神殿は重要である。(ルカ2・22~35、36~38、41~52、使徒言行録3・1~10、11~26節)神殿はエルサレム同様に大切な意味を持っている。神殿はユダヤ人にとってアイデンティティそのものである。ソロモン王死後、王国は北と南へ分裂、北イスラエルはアッシリアに滅ぼされて主な住民はかの地に拉致されて消滅し、南ユダ王国も紀元前587年、新興バビロニアによって神殿を破壊され、バビロニアに拉致される。やがてバビロニアがペルシャに滅ぼされると、捕囚のイスラエル人は祖国に帰還する。この頃からユダヤ人と呼ばれるようになり「ユダヤ教」(五書)が生まれる。紀元前516年に第2神殿が完成する。これをヘロデ大王が改修して豪華なものにする。そこには神殿娼婦がおり、異邦人の庭(神殿の遊歩道)には、犠牲動物が高値で取引されていた。祭壇に献げる動物に傷があってはならず、その動物を運搬することは大変であったので、神殿でその動物を買い、そしてローマ貨幣から神殿で通用する貨幣に変えなくてはならなかった。そこには両替人がいて、そこで商売が行われた。その利益から、神殿に仕える祭司たちは多額の献金を集めた。すなわち、経済の仕組みとしても神殿はなくてはならぬものになっていた。神殿で安価な鳩すら買うことの出来ない人たちがいた。その人たちは「無資格者」地の民(アムハーレツ)と呼ばれ、差別され、律法を守らない人というレッテルを貼られた。そして無資格者は選民であるにも関わらず神の恵みの外にいる。その人たちこそガリラヤでイエスが神の国の宣教をした人に他ならない。

 「教会とは何か」と問われれば、ひとり一人答えが違う。聖なる場所、祈りの場所、心静める場所、いやしの場、聖徒の交わり…イエスのまなざしは、常にこの無資格者に向けられている。ルカ15章の最後の譬えは二人息子の譬えであるが、その弟を「失われた息子」として譬えている。文脈からすればその「失われた息子」は無資格者というレッテルを貼られた貧しい人たちである。わたしたちが無意識でその人たちを排除するならば、父の振る舞いが理解出来ない。振る舞いが理解出来ないのは、祭司長、律法学者、民の指導者であり、民衆であった。わたしたちは自分がどこに立っているのかが問われている。「悔い改め」とは生き方の方向転換を意味する。その立場に立つとき、イエスが子ロバに乗って入城されたこととその後の行動がわかる。その時、教会は「信仰共同体」となり、イエスに倣う群れとして歩むことが出来る。