【解放の神】
イザヤ書59・12~20、マタイ福音書13・53~58


 先週の水曜日BS朝日「昭和偉人伝」で21世紀の日本をグランドデザインした男として賀川豊彦が取り上げられた。時代背景、賀川豊彦の研究者、彼に影響を受けた人、孫で現在「雲柱社」理事の富沢康子さんのインタビューと彼の言葉が随所に紹介されていた。あらためて彼の存在を知ることが出来た。その中で、1939(昭和14)年にアメリカで出版された「three trumpets sound」という本でガンジー、シュバイツアー、賀川豊彦が20世紀の最大聖人と称されたことが紹介されていた。

 神戸の葺合新川からはじめられた彼の活動はやがて「イエス団」そして東京では「雲柱社」としてその働きは続けられている。彼の眼差しは常に「弱者」に注がれ、「労働組合」「生協」「農協」などの協同組合活動、戦後は平和を希求する願いから世界連邦構想を提唱した。ノーベル文学賞候補、ノーベル平和賞候補として数回名をあげられた。しかしその原点、アイデンティティはキリストの弟子(キリストに従う者)に他ならなかった。空前絶後のベストセラー自伝小説「死線を越えて」は400万部を売り上げ、今の貨幣価値で言えば10億円の印税はすべて彼の様々な社会事業のために用いられた。最後にこのような彼の言葉で結ばれていた。「一人は万人のために、万人は一人のために」今日は社会事業奨励日として、アドベント第二主日礼拝が献げられている。

 旧約聖書のイザヤ書59章12節以下、マタイ福音書13章53~58節を共に分かち合いたい。59章20節に「主は贖うものとして、シオンに来られる」と書かれていた。贖うとは「帳消しにする」ということであり、抑圧されたものが解放される。罪が赦されることを意味する。罪とは神の御心にそわないすべての歩みを言い表している。また新約聖書マタイではイエスが「天の国の秘儀」の譬え(説教)(種まき、毒麦、からしだね、パン種、隠された宝、真珠と商、地引き網)を語られたのち、故郷ナザレでは受け入れられなかったと記されていた。イエスが何者か知っていたナザレの人々は「神の国」の福音を語り、「神の国」を実践されるイエスを理解することは出来なかった。イエスを知るとは知識ではない。イエスに関する万巻の書を読んでもイエスはわからない。福音書が記しているイエスを信じる(イエスによって生きる)ことから出発することがなければイエスを知ることは出来ない。

 賀川豊彦はイエスを信じた。それによって彼の価値観はイエスを信じる者として、イエスが歩まれた道を歩むことになる。沢山の才能を持ち、事業を興せば成功し、経済人であれば渋沢栄一のような人物になったであろう。しかし彼は、そのような歩みを選択することはなかった。彼は徹底的に貧しい人たちの友として、彼らに寄り添い、「助け合い」の精神を語った。

 今、賀川豊彦が再び脚光を浴びている。「友愛の経済」を提唱したものとして、世界平和を希求した者として、わたしたちは彼の存在を過小評価してはならない。彼が見た眼をわたしたちも持ち合わせることが出来るならば、わたしたちは今の時代を生きることが出来る。「贖いの主」が共におられ、わたしたちを解放し、わたしたちの罪を赦して下さった。彼が語り、行動で示した「実践的贖罪論」の意味をわたしたちは知らねばならない。アドベントのこの時、神が一人一人にイエスこの世に遣わされた意味を深く心にとめ、主のご降誕を心から待ち望み、二本目のロウソクを私たちの心に灯そう。