良き知らせ
イザヤ書9章5~6節、ヨハネ福音書1章1~4節
(江東伝道所・堀切教会 クリスマス礼拝メッセージ)


 2016年が終わろうとしています。恒例の漢字一字は「金」でした。皆様にとってこの一年はどのような年であったのでしょう。

 世界中で悲惨な事故、自然災害、テロの暴力、テロを抑止すると言う名目で行われた「空爆」でシリアでは多くの人たちが傷つき、国を追われ、難民として不自由な生活を強いられています。国内に目を転じても、格差は拡がり、相対的貧困率で6人に一人の子どもは厳しい生活をしています。また今日の新聞には電通で過労のため鬱病となり、自らのいのちを絶った高橋まつりさんのお母さんの手記が掲載されていました。

 多くの人たちが傷つき、「居場所」を見つけることが出来ずにいます。

 世界で最初のクリスマスに登場する人物もそのような人たちです。イエスの父ヨセフ、母マリアはガリラヤの町ナザレから、ベツレヘムに旅立ちます。臨月を抱えたマリア、そしてそのマリアを気遣うヨセフ。しかし二人を泊めてくれる場所はなかった。と記されています。これは単に物理的な意味で泊まる場所がなかったと言うのではありません。誰もヨセフとマリアを気遣ってくれなかったのです。

 ヨセフは夢でイエス誕生を知らされました。そして困惑の中でヨセフは婚約者マリアを人生の伴侶として迎え入れる決心をします。その時、彼は「インマヌエル」という言葉を天使を通して告げられました。またマリアも困惑の中で、イエスを出産する決心をしました。その中で彼女はあの「マリアの賛歌」として知られる歌を歌います。

 しかし、聖霊によってマリアの胎にやどった「嬰児」の誕生の秘密を知らされたのはヨセフとマリアだけでした。そのため、訳ありとして二人を見ていた人々は誰もこの若いカップルにやどった赤ん坊を「救い主」として受け入れることはありませんでした。そのため、「家畜小屋」での出産を余儀なくされたのです。

 「家畜小屋」は人間が出産する場所ではありません。そこに家畜がおり、家畜特有の臭いがありました。不衛生極まりない場所です。

 なぜ、そのような場所でイエスは誕生したのでしょうか。当時の教会で語られていた「キリスト賛歌」にはこのように記されています。

 「 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。(フィリピ2章6~11節)また詩編113編4~9節にはこのように記されています。「 主はすべての国を超えて高くいまし/主の栄光は天を超えて輝く。 わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き なお、低く下って天と地を御覧になる。 弱い者を塵の中から起こし/乏しい者を芥の中から高く上げ 自由な人々の列に/民の自由な人々の列に返してくださる。子のない女を家に返し/子を持つ母の喜びを与えてくださる。ハレルヤ。」

 この言葉の意味を心にとめ、羊飼いたちのように、星に導かれた占星術師たちのようにわたしたちも「主の御降誕」を祝うために集められました。

 共にこの言葉を心に受けとめ、「主の食卓」に与りましょう。