【みるく世がやゆら】今は平和でしょうか?
 平和聖日合同礼拝メッセージ
イザヤ書2章4節・マタイ福音書26章52節

 今、私たちはフォトアルバム沖縄・高江『やんばるで生きる』と慰霊の日で読まれた県立与勝高校3年 知念 捷さんの自作「みるく世がやゆら」詩の朗読をYouTubeで聞いた。「辺野古」の近くには、高江がある。高江には、約7800ヘクタールを占める米海兵隊北部訓練場(ジャングル戦闘訓練センター)がある。1996年に過半の返還が報告されたが、しかしそのためには、6つのヘリバット新設が条件づけられた。すでに建設された2カ所では、沖縄に配備されたオスプレイが、低空飛行やタッチ・アンド・ゴーをくり返している。ヘリパット建設に反対する人たちは、座り込みを続けて反対の意思表示をしている。それに対して、沖縄防衛局と請負業者によって、計画は着々と行われている。そして座り込みを続けて抵抗している住民たちを「通行妨害」で起訴した。

 「戦場ぬ止み」(いくさばぬとぅどみ)の著者 三上知恵さんは「2014年6月、この裁判の最高裁判決が出て、日本という国は、座り込みを通行妨害として訴えれば勝てるという恐ろしい社会になってしまった。しかし、主要全国紙やキー局は、どこもそのニュースを報じなかった。沖縄ではもちろんトップニュースだった。」と著書で述べている。またそのような反対運動をしている住民に対して、「ウジ虫」とか「生きた化石」とかという言葉が浴びせられ、また2013年1月、沖縄41市町村の代表の「オスプレイ配備撤回」の建白書を政府に手渡した後の銀座デモ行進の時、「売国奴」「死ね」「非国民は出ていけ」という罵詈雑言が沿道よりあったという。「在日」の人たちに行われているヘイトスピーチは、韓国・朝鮮人の人たちだけではなく、ヤマトンチュンがウチナンチュンに対しても行われた。

 沖縄は「安保の犠牲」となっている。(高橋哲哉)即時安保撤回を政府がアメリカに申し出ても、現実には段階を経てしか撤廃は出来ない。それまで「沖縄を『安保の犠牲』となっていろ。」というようなことは言えるはずがないのに、他人事としてしか沖縄のことについて考えていないということをわたし自身は、この平和聖日の準備のためにこれらの本を読んで思い知らされた。無関心は沖縄に対する差別である。(佐藤 優)。

 私たちは、平和を願っている。平和を祈っている。しかし、世界に目を転ずれば、無辜な子どもが、戦争の犠牲となっている。これらの国が一日も早く、
(いくさ)をやめる日を願わずにはおられない。 聖書で言うシャロームは私たちの考えている平和をはるかに凌駕する。それは真の意味での「積極的平和主義」に他ならない。すなわち、一人一人が安心して暮らせる社会であり、人権が尊重される社会である。

 「辺野古」では海上警備行動という名目で、海上保安庁のいのちを賭して救助にあたる海猿が、反対するカヌー隊を力尽くで阻止している。搬入運搬を阻止するために闘っている高齢の女性をガードマンや警官が立ちはだかっている。

 これが「辺野古基地」反対運動をしている住民に対しての行政のやり方だ。至る所で、行政執行が行われ、「小さくされた人たち」を苦しめている。「貧困」が拡がり、格差社会となっている日本において、私たちは「今は平和ですか」と問わずにはおられない。主が再び来られる「中間時」を生きる者として、イザヤの言葉、マタイが語るイエスの言葉に耳を傾けよう。「平和を実現する者は幸い」(マタイ5・9)である。みことばに生きる者として。
            (写真は、フォトアルバム沖縄・高江『やんばるで生きる』より)