【解放の徴】
イザヤ書40章1~11章、ルカ福音書7章22~23節      

 今日私たちは、部落解放祈りの日としてこの主日礼拝に招かれている。以前紹介したが、あらためて教団部落解放センターが編集した説教・講演集『人間に光りあれ』を読んだ。谷本一広牧師(近江平安)や「全国同宗連」の事務局長を務められた丹波二三夫さん、解放センターの主事をしてこられた故角樋平一牧師(宇治教会担任)らの文章を読み、あらためて教団の部落解放祈りの日について考えた。堀切教会では、15年間7月第三主日に「部落解放祈りの日」の礼拝を献げ、部落解放をはじめとするあらゆる差別されている人たちを覚え、またわたしたちの中にある内なる差別に気づき、その解放を願い、祈り求めている。

 谷本牧師の説教(文章)を読み、教会がこの問題を福音宣教の業として行うことの難しさをあらためて考えさせられた。彼は西成教会から滋賀県にある近江平安教会の牧師に赴任した。そして三ヶ月後ある家庭訪問で「先生いらっしゃい。まず先生に言っておきたい事があります。この家の玄関先にある地域境界線・杭より向こうには行かないで下さい<中略> そこは昔から『部落』と言われており怖い所です。ガラ(性格や振る舞い)が悪に人たちがいます。行かんといて下さい。」と言われる。しかし彼は西成教会での様々な人たちとの関わりから、神さまが与えられた使命と信じ、積極的に部落解放運動に携わる。その結果、役員をはじめとする教会員から辞任を迫られる。最初は「決意書」というかたちで、兵糧責めで牧師に今いる教会員の牧会に集中してほしい。それが適えられる迄は、礼拝に出席しない。従って礼拝当番などのあらゆる教会奉仕は行わない。献金を献げることを据え置く。と言う谷本牧師の活動に反対する教会員たちは実力行使に出る。そしてその次には「牧師辞任請願書」を提出し、彼が牧師として部落解放運動に携わることを断固拒否する。そのような中で、「決意書」を提出した役員、教会員は去り、今では様々なマイノリティーの人たちと連帯し、イエスが語られた「神の国」運動を実践する「信仰共同体」として歩んでいる。

 イエスは「神の国」を言葉と実践を通して宣教された。今日はイザヤ書とルカ福音書を読んだ。イザヤ書40章は、バビロンに捕囚されたユダヤ人が、異教地(外国)で、苦難の中にあっても神の約束を信じ、その苦難を生き抜く力の源がヤハウェに対する「信」(信仰)であることを確信する。またルカの7章は獄中にいたバプテスマのヨハネが弟子を遣わして「来たるべき方は、あなたでしょうか。」と言う質問に答えている箇所である。4章18節以下には、イザヤ書61章1~2節にイエスが語られた神の国のビジョンが「貧しい者への福音」として語られている。

 スペインのカトリックの司祭で聖書学者・教義学者の『イエス あなたはいったい何者ですか』と言う本を読んだ。そこには、人の子(ナザレのイエス)として歩んだイエスが、貧しいガリラヤの民衆しかも、罪人というレッテルを貼られ、差別され、抑圧されている側にイエスがおられると、力強く語られている。

 午後の学習会では、「石川一雄さんの再審を願っての集会」が計画されている。しばらく体調を崩しておられるKさんから、昨日、行けなくて残念という趣旨のメールが入っていた。そこに「石川さんが犯人だと思っている人がいるのでしょうか?疑問です。でも、名誉を回復しないと言う頑なさは、今の日本の政治の頑なさ、一度決めたことは間違っていてもそのまま通す、異を唱える方がおかしいというような風潮につながる気がします。」と書かれていた。52年間見えない手錠につながれたままの石川一雄さんの再審の扉が開かれるまで教会として闘い続けよう。