【同じようにしなさい】
ルカによる福音書10章25~37節

 追いはぎに襲われた瀕死の重傷の旅人に応急措置を施したのは、神の恵みの外にある者、神の国に入る資格がないと、レッテルを貼られ、差別されていたサマリア人である。

 祭司、レビ人は、見てみないふりをしてその場を通り過ぎる。しかし、サマリア人は苦しむ旅人に対して、「近寄って、傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、ろばに乗せ、宿屋に連れて行く。」なぜ、サマリア人はそのような行動に出ることが出来たのか。そのことを解く鍵の言葉が「憐れに思う」である。 憐れという言葉を、はらわたが揺り動かされて、はらわたが引きちぎられる思いにかられて、いたく気の毒に思ってなどと訳している聖書はその原意を伝えている。この言葉は他にルカ福音書7・13~14の寡婦の息子が死んだとき、もう一カ所はルカ15章の失われた息子の譬えである。

 今、水曜日の聖研・祈祷会では列王記上を読んでいる。イスラエル王国はサウル、ダビデ、ソロモンによって隆盛を極め、ソロモンの政治的基盤は磐石なものとなる。彼は父ダビデが果たせなかった神殿、宮殿を20年の歳月を経て完成させる。しかしその後統一イスラエル王国は二つに分裂する。北イスラエル王国はアッシリア帝国によって滅ぼされる。そして占領政策の一環として、占領地の上層階級を別の占領地に連れていって、首のすげかえを行う。

 北イスラエル王国の首都サマリアは、前722ないし721年に陥落し、サマリア人が捕虜となり、ヘラ、ハルボル、ゴメン川、メデイアの町々に移される。(列王記下17・3~6)このような苦難の中で、サマリア人の上層階級はバビロン、クト、アウハマト、セファルハイム(17・24) に移される。これらの外国人によって支配され、宗教生活、社会生活は著しく異教化する。

 やがて南ユダ王国の人たちもバビロンに捕囚され、その後帰還する。そして、自らのアイデンティティ(律法と祭儀)を確立する。しかし同胞であったはずのサマリア人は、雑婚し、異教徒の習慣を受け入れた裏切り者と見なされ、彼らは南ユダ王国がエルサレム神殿に対抗して、ゲルジム山に神殿を建設し、サマリア五書を編纂するに当たり、関係は修復不可能な状態に陥る。これがサマリア人とユダヤ人の関係である。

 このような結果、異邦人と見なされたのが、サマリア人と言うことになる。日本はかつて朝鮮をはじめとするアジア地域を「植民地支配」した。その結果、朝鮮民族の誇り(これは琉球にも言える)を奪い、創氏改名、日本語強制、神社参拝を強いる。そして同化政策をとり、二等国民として彼ら/彼女らを扱った。このような差別の中で生きねばならなかったのが、在日の人々である。 差別されたサマリア人は、律法の本質を見抜き、打算なき行動に出る。しかも「隣人」とは誰かではなく、そこにいる人、苦しんでいる人こそが隣人であると言う。

 『福音と世界』5月号に関田寛雄牧師が「寄留の牧者・神学者 李 仁夏(イ・インハ)牧師の生涯を語っている。大変興味深く読んだ。そしてこの人たちはサマリア人であると思った。

 すなわち「小さくされた人々」の感性がサマリア人への行動へと導く。愛されなければ愛することは出来ない。(アウグスティヌス)と言われるが、差別され、虐げられる時、そしてその境遇をあきらめずに前向きに生きようとするとき、人の痛みがわかる者となる。「同じようにしなさい。」この言葉の意味をわたしたちはどのように受け止めるのか。果たしてサマリア人とは誰なのか。そのことに来週はスポットを当てることにする。