【排斥と寛容】
 ルカによる福音書9章51~56節


 新聞が過激派集団「イスラム国」を連日取り上げている中で、普天間基地の移設先とされている「辺野古」の基地建設が粛々と行われている。珊瑚を死滅させ、ジュゴンの生息を危ぶむような環境破壊、自然破壊が行われている。市長選、知事選、衆議院選挙で民意は「No」をたたきつけたにもかかわらず原発再稼働同様に政府が書いた青写真が進められている。「戦争を二度と起こしてはならない」と言う固い決意で「辺野古」で住民が座り込みを続け、また海ではカヌ-で抗議活動が続けられている。

 住民を守るはずの警察や海上保安庁の職員が監視を続け、暴力で抑制している。先週も紹介したが『人間に光りあれ』の中に平良 修さんが1989年9月25日に発行された「日本基督教団部落解放通信」7号の「沖縄差別・今と昔」と言う文章がある。衝撃的な文章だ。「石川一雄さんを否定することはそのまま沖縄を否定することである。」廃藩置県、「琉球処分」によって琉球は沖縄県にさせられた。そして徹底した皇民化教育が行われ、同化政策がとられ、二等国民というレッテルを貼られ、戦渦に巻き込まれ、地上戦で多くの住民のいのちが奪われ、自害(集団自決)が行われた。

 戦後も米軍基地の島となり、返還後も基地はそのままで、今なお米軍基地の72%が沖縄に集中している。政府が米軍と話し合うことで「普天間基地を」国外、もしくは県外に移設するための政治が行われてよいはずが…「辺野古」の基地建設が粛々と遂行している現状をわたしたちはどう捕らえればよいのか。9章51節~56節まではエルサレムへと向かうための準備が描かれている。

 51節にはイエスが決意を固められたと記されている。本来は顔を上げてと言う意味で、並々ならぬ決意を意味する。ある訳では「イエスはいよいよ昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムに向けて進み」(「ガリラヤのイェシュー」山浦玄嗣訳)と訳している。

 ここで二つの地名について考えてみよう。エルサレムとサマリアである。イエスはガリラヤで主に活動されていた。多くの民衆がイエスに助けを求めてやって来たのはガリラヤであった。なぜ、イエスはエルサレムに向かって旅をしたのか、と言えばそれは「十字架」に向かう旅、苦難を一身に受ける旅である。ルカにとってエルサレムは「苦難」を意味する。弟子たちがこの旅の意味をどこまで理解したのかと言えば、「受難予告」(18章31節以下)(ルカ9・21、9・43b)を話されても理解出来ていないのだから、イエスのエルサレムへの決意が理解出来ていたとは到底思えない。

 イエスはエルサレムに行くための最短距離としてサマリアを経過される。故郷ナザレで拒否されたように、ここでもイエスは拒否される。その理由は、彼ら/彼女らが「サマリア人」であるからである。「サマリア人」については列王記下17章にはそのいきさつが書かれている。異国の神を持ち込んだのも、雑婚も自ら進んで行ったのではない。戦争という暴力がかつての同胞のユダヤ人たちの偏見を生み、差別を増長させた。

 イエスが「エルサレムに顔を向けられた」と言うことは「サマリア人」にとっては、悲しみと怒りを抱かせてしまった。サマリア人たちからイエスは誤解される。イエスは苦難を受ける覚悟をここで「エルサレムに向かって決意」されたとルカは記す。最後にこのイザヤ書50章7節の言葉を読みたい。ここには「苦難の僕」が描かれている。今週の水曜日から「灰の水曜日」に入る。それぞれが自分を見つめ、主の復活の朝を迎えるために、イエスの「受難」を心にとめたい。