【みんなで分けあって】
 命記26章6~15節・Ⅱコリント9章6~15節

 フランスの同時テロから、一週間が経ちました。20日の朝刊に「テロリストへ 憎しみという贈り物はあげない」というパートナーを失ったジャーナリストのアントワーヌ・レリスさんのフェイスブック上の文章が掲載されました。「憎しみからは何も生まれない」という悲痛の叫びが、世界中の共感を生んでいます。報復の連鎖が続く限り、また多くの市民がテロの犠牲となり、正義のため、「テロと戦う」という大義名分の「空爆」で無垢な人たちのいのちまでが奪われている現実をわたしたちは知らねばなりません。

 月一回火曜日に朝日新聞夕刊に掲載されている歴史社会学者の小熊英二さんは、「難民問題は、地球単位の気候変動、過剰耕作、貧困、格差、独裁、内戦などが連鎖して起きる。1951年の定義では、人種、宗教、国籍、政治的意見、または特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるか、あるいは迫害を受けるために他国に逃れる人々としていたが、現在における難民問題は、21世紀の社会が、20世紀とは異なる状態であり、固定観念にとらわれず、横断的な叡智を集めなければ対応できない。」と書いています。シリアなどから、多くの難民がヨーロッパにやって来ていることをわたしたちは報道で知っていますが、小熊英二さんの指摘は無視できません。

 モーセは神の召命によって、イスラエルの人々をエジプトの奴隷から解放し、神の不思議な導きで、彼ら/彼女らを約束の地へと導きます。そのモーセの説教が申命記に記されています。26章には、解放された民がどのように歩まねばならないのかが記されています。またⅡコリントでパウロは、詩編112編9節を引用して「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人々に施した。彼の慈しみは永遠に続く」(9・9節)。別の訳では「かれはふところを空にして、乏しい人たちに差し出した。かれの解放をもたらす働き(正義)は、永遠に続けられる」と訳されています。神さまは、水と空気をお与えになられています。イエス様を信じる人たちは、それをひとり占めしてはなりません。福音書を読むと、イエス様が五つのパンと二匹の干し魚で、5000人の人たち(男性しか数えられていません)に食べ物を与えられたことが記されています。ヨハネ(6・9)だけは、誰がそのパンと干し魚を差し出したのかが、記されています。この少年だけが、自分のお弁当をイエス様に差し出したのです。他の人たちがお弁当を持っていたのかは分かりませんが、この少年だけがイエス様に自分のお弁当を差し出しました。

 世界が100人の村だったら、「80人は標準以下の居住環境に住み、70人は文字が読めません。50人は栄養失調に苦しみ、1人が瀕死の状態にあります。」自分だけがお腹いっぱい食べて満足するような人を神さまはお喜びにはなられません。今日はみんなで神さま、たくさんの野菜、果物ありがとうの感謝をするために、礼拝が献げられています。このような神さまありがとうの礼拝が最初に行われたのは、今から約400年前のことです。神さまを信じて、イギリスから102名(男78、女24)の人たちが船に乗って新大陸のアメリカに到着しました。イギリスでは、お百姓さんをした人たちはいませんでした。そのため、翌年の夏までに半数の人たちは死んでしまいました。その人たちに「先住民」の人たちが、とうもろこし、えんどう豆、小麦、大麦の種を分けてくれ、撒き方も教えてくれました。秋になると、たくさんの食べ物を収穫することが出来ました。そして先住民の人たちと神さまありがとうの礼拝を献げたのがはじまりです。みんなでたくさんの果物、野菜を下さる神さまに感謝しましょう。