【レギオン・軍団】
ルカによる福音書8章26~39節

 「福音と世界」の10月号に奥羽教区北東地区、岩手地区で行われた第30回「教会と国家」セミナー宣言が掲載されている。そこには、「私たちは、1・主イエスの復活後、あの弟子たちが宣教にあたった<信従>の厳しさを、私たちは「戦時」に於いて、また「戦後」においてどれ程、自らに課してきたか、そのことを真剣に追求し、悔い改めます。2・45年前になされた沖縄キリスト教団との合同において日本基督教団に連なる多くは、それまでにおかした自らの罪責を問うことなく、大が小を吸収することで良しとしました。その後の「合同のとらえなおし」に関しても、自ら悔い改め、真の合同に向けて歩み出すことを、教団に対し、また各個教会に対して求めます。3・日本基督教団は、国家に対する預言者的な役割を担い得る「明日の教団」を形成するため、「戦争責任告白」をもって「戦後」を再スタートしました。その更なる実質化を求めて、沖縄の教会と共に合同教会を形成して行くことを、求めて自らに誓います。4・国と社会に対し、自らの責任を覚えつつ、新しい「戦前」即ち、戦争と破滅への道から離れることを断固として求め、「特定秘密保護法」の廃案と集団的自衛権行使容認を撤回することを求めます。」と宣言した。

  先週はイエスが風と荒波をおしかりになられると、凪になった箇所を分かち合った。今日の箇所は、イエスが「力」をもって重い病に苦しむ人をお癒しになった箇所である。注意して読むと、場所、病に苦しむ人の人数が他の福音書とは違っている。ルカでは4章31節以下の「穢れた霊に取り憑かれた男を癒す」奇跡物語りが、ガリラヤで起きた最初の奇跡物語であり、そしてこの物語は異邦の地で起きた最初の物語とする。イエス一行はガリラヤの反対側にあるゲラサに着くと、そこには、精神異常(穢れた霊)と人々が恐れている一人の男がいる。彼は、長い間、衣服を身に着けず、家に住まわないで墓場を住まいとしていた。墓場は、創世記(35・20、49、31)には、そこで礼拝したと記されているが、後にはそこは穢れた場所とされている。そしてユダヤ社会では、穢れた霊に取り憑かれた者は「共同体」の外に追いやられる。イエスは悪霊に取り憑かれている男を癒された。そしてその男の病は快癒した。彼は「従いたい」とイエスに申し入れるが、イエスはその男に「帰還命令」を出される。

  今日はそのあらすじを踏まえてイエスが名を何というかと問われると、「レギオン・軍団」と答えていることに注目したい。この「レギオン」はローマの軍隊の数を表している。6.000人を要する軍隊である。そこには暴力で民衆を有無も言わさずに従わせる巨大な力が想像される。しかも軍団には名前がない。家庭では、良き息子、夫、父親であったのだろうが、暴力によって民衆を苦しめる。それが軍隊の本質だ。イエスがゲラサの地方で、悪霊を追い出された。しかも「レギオン」と名乗る悪鬼に憑かれた男の霊を追い出すと言う「出来事」は、ローマ支配にある人たちにはこの物語が「解放」の福音と捉えられたのではないか。先ほど、奥羽教区の第30回「教会と国家」セミナー宣言を紹介した。「殺してはならない」と言うことは、モーセに与えられた「十戒」の「六戒」に記されている。

  私たちは、この戒めを真剣に受け止め、その戒めに生きる者でありたい。どんなにこれから私たちに、そして教会に困難が降りかかっても、風と波を叱られたイエス、巨大な悪霊をも追い出されたイエスが私たちと共におられる。だからこそ私たちは、この世に仕えることが出来るのである。