【教会のすがた】
 ルカによる福音書8章1~3節


 朝霧 祐と言うウェルニドニッセ・ホフマン症(進行性脊髄性筋萎縮症)と言う難病のシンガーソングライターが書いた『バリアフリーのその先へ!』-車いす3.11-と言う本を読んだ。「災害弱者」と言われている人たちがどのような生活をしたのか? 震災直後からの一、二週間のことが物語られていた。「反原発」のデモなどや運動にも積極的に参加している人だ。魅力的な文章で引き込まれて一気に読んだ。先が見えない「難病」に罹ると、不安が増し、焦燥感に苛まれる。「難病」とはある場合は、心も体も病む病である事をあらためてこの本で考えさせられた。

 ここに三人の女性の名前が記されている。すなわちマグダラの女と呼ばれたマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナである。マグダラのマリアとは、如何なる人物であったのか。ガリラヤ湖畔の西岸マグダラの出身でイエスに「難病」を癒され、従った(8・2、3)、十字架上のイエスの最期を看取り、その埋葬に立ち会った。(ヨハネ19・25、マルコ15・47) 前後するが、イエスは人々が罪深いと言うレッテルを貼った女性に対して「あなたの罪は赦された」(8・48)と宣言されている。このことを考えると、イエスの「神の国」運動は、所謂「罪のゆるし」という宗教的な事柄だけにとどまらない。7章34節を読めば、生まれつきしょうがいを負っている人、難病に苦しむ人、卑しい職業に従事せざるを得ない人たち、すなわち神の律法に背く「罪人」と言うレッテルを貼られ、差別されていた人たちにイエスは福音を宣べ伝えているからだ。イエスは様々な場所で説教した。町や村を巡ってその旅を続けられた。そのイエスと共に旅を続けたのは、12人の弟子たちである。(6章12節以下にその弟子たちのリストが記されている。) しかし、ルカはそのことだけを記述(報告)しているわけではない。それが先に紹介した3名の女性たちである。イエスに従った女性たちは、裕福な家庭の人たちもいたようである。3節に登場しているマグダラのマリア以外の女性たちがそのような家庭からイエスに従ったと考えられる。彼女たちは復活の朝、その死体に香油を塗ろうとして墓に訪れている。(24・10) またスサンナもマリア同様に悪霊を追い出してもらっている。彼女たちは、イエスに従い、自分の持ち物を出し合ってイエスに奉仕した。

 ここでルカは、使徒言行録4・5章のアナニアとサフィラのことや、6章に登場するステファノたち7人のことを繋げて読むようにとわたしたちを導いているのかもしれない。

 4章32節では持ち物を共有した。

 6章1~7節では奉仕者の役割分担、み言葉の奉仕者とその他の様々な役割を担う奉仕者を念頭に入れて、ここで書いているのかもしれない。

 今日私は「教会のすがた」と言う宣教題をつけた。わたしはこの三人及び他の女性たちは、イエスに従った女弟子と受け止めている。今、佐藤優の「宗教改革の物語」も読んでいる。異端として裁かれ、死体は焼かれ、灰となり、ライン川に流された宗教改革の先駆者ボヘミアの神学者フスが取り上げられている。彼は、教皇の権威を無謬なものとした当時の教会に対していのちを賭して「NO 」と言った人物である。

 教会は、牧師中心であってはならない。牧師は聖書の言葉を語る役割を担っているに過ぎない。どの役割が尊いと言うわけではない。どんな役割も皆同じである。大切なことは、その役割を担う姿勢である。教会は様々な人たちによって支えられる「信仰共同体」・「礼拝共同体」である。そしてその共同体は、神の恵みを知り、日々生かされていることを感謝する喜びを証しする共同体に他ならない。