【祈ることの難しさ】
マルコによる福音書14章32~42節
                              
 最新の「教団新報」には、教団主催の東日本大震災国際会議(-原子力安全神話に抗して-フクシマからの問いかけ)の様子が報告されている。

 姜尚中氏の「犠牲のシステムを越えて」-ミナマタ・ヒロシマ・フクシマ-と言う主題講演、他に組織神学者と宗教学者の講演も要約されている。

 講演の中でこのような事が言われたと書かれていた。「第一次世界大戦後、関東大震災に続き、恐慌が起こり、1930年代に突入した。同じように、今、ネオナショナリズムと新しい成長神話が、様々な形で振りまかれている。成長神話、国家に呪縛された生というものを見直し、真の意味での平和を構築しなければ、脱原発に向けて歩む道はあり得ない。また、東北地方が、中央の支配のもとで生きるのではなく、独自で再生への道へと歩んでいかねばならない。」と言うことが書かれていた。

 収束とはほど遠いと思われる「フクイチ」の現状を思う時、わたしたちは脱原発が平和への礎である事を知り、今行われている「成長戦力」(アベノミックス)に対して「否」という姿勢を明らかにすることなく、東北が負わされている痛みと悲しみと怒り、そしてすべての「犠牲のシステム」の中に取り込まれている人たちを後回しにするような在り方に対しては「否」といわねばならない。

 今日は「棕櫚の主日」である。その為、ルカ福音書ではなくマルコ福音書を通して「イエスの受難」についてを「ゲッセマネの祈り」から考えたいと思う。イエスがエルサレムに入城された時の様子をマルコは次のように記す。

「ホサナ。主の名によって来られた方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来たるべき国に、祝福があるように。いと高き所にホサナ」(マルコ11・9)しかし、そのイエスを「十字架につけろ」(マルコ15・13)群衆はヒステリックに反応した。

 イエスは、弟子たちと最後の晩餐をした後、ペトロたちの離反を予告され、ゲッセマネで祈られたと記されている。前後するが、ベタニヤで三百デナリオンもする高価な香油を一人の女がイエスの頭に注がれたことと、一連の弟子の離反と引き渡しがコントラストに描かれている。

 さて、32~42節には、イエスがペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴いゲッセマネで祈られたことが記されているが、イエスの弟子たちはこの祈りがどのような事なのか、理解しきれずにいる。それが「眠る」という生理現象として描かれているのだが、わたしはここにも香油を注いだ一人の女性と弟子達のように、イエスと弟子たちがコントラストに描かれていると考え、この箇所を読んだ。

 イエスは祈られる。「できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われる「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけて下さい。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」

 杯とは、苦しみを象徴する。詩篇11編6節、イザヤ書51章、17、22節を読むとそのことがわかる。またこの「杯」はよろこびの徴としても描かれる。詩篇23編5節、113編13節にはそのような意味で使われている。

 眠っている弟子たち、ひたすら祈り続けておられるイエスがここにもコントラストに描かれる。(マルコ15・37、38、39、41節)

 今日私は、「祈ることの難しさ」という宣教題をつけた。わたしたちは弟子のように「眠っている者たちではなかろうか。イエスはそのような弟子たちを受け止められた。そしてわたしたちをも受け入れて下さる。

 イエスご自身がいわれた。逮捕され、不当な裁判で十字架刑に処され、死ぬ。と言う一連の「苦難」を受け入れられたと言うことを決して忘れてはならない。

 わたしたちにも「試練」「苦難」はおとずれる。その時、わたしたちは祈ることができるのであろうか。イエスの祈りは一方通行ではない。真剣に父なる神に祈られる。

 御心のままにと、わたしたちの祈りはどうであろうか。私自身の祈りはどうなのか、この宣教を作りながら考えさせられた。

 今日の月報「黎明」にMさんが「皆な白旗を掲げよう」という文章を書いておられる。今の時代、わたしたちはどのように生きるのか、彼の率直な言葉が書かれている。

 その中にD・ボンヘッファーのことが書かれていた。ボンヘッファーは、神学者からキリスト者へ、そして同時代人となったと言う。(村上 伸)

 苦難の時に祈ることは難しい。いや「御心のままに」と祈ることは難しい。ボンヘッファーは、弱さの中にある自分を受け止め、そして祈った。

 わたしたちは、本当に祈っているのだろうか。そのことを考えつつ、金曜日の「受難日」をむかえたい。そして「復活の朝」をむかえよう。