「戸惑うヘロデ」
ルカによる福音書9章7~9節

 先日アメリカの中間選挙で民主党が惨敗した。史上初の黒人大統領、彗星の如く現れ、脚光を浴び、核廃絶を唱え、ノーベル平和賞を受賞したかつてのオバマは人々の脳裏からやがて消え去られるのであろうか。日本ではアベノミクスに対して、支持する経済学者よりも、問題点を指摘し、批判する経済学者が多くいる。

 「チェンジ」を掲げたオバマ、「戦後レジーム」を掲げ、新たな戦前を作り出そうとしている安部首相に対して、民衆はどのような判断をしていくのか、選択する私たち一人一人の責任は重大と言えよう。

 ここに一人のリーダーが登場する。その名をヘロデ(アンティパス)。マタイ福音書に登場するヘロデ大王の次男である。同じように残忍で狡猾なリーダーとしてマタイ・マルコ福音書記者は彼を描く。民衆が熱烈に支持する「イエスとは誰か」、と彼は考え、自問する。「ヨハネが生き返るはずはない」。ここでルカは、旧約聖書に登場する預言者エリアについて言及する。エリアは、時の王である北イスラエル王国の王アハブとそのパートナーのイザベルの不正義とバアル崇拝を厳しく非難し、その結果、逃亡を余儀なくされる。王には不正は許されない。直ちに偶像崇拝をやめ、神とのつながりを回復せよ。(列王記上16章22~22章40節)彼は、いのちを賭してこのことを語り、いのちの危機を経験し、弾圧に耐えて、最後は生きたまま「火の戦車」に乗って天に引き上げられたと記されている。(列王記下2章)そして弟子エリシャが彼の意志を次ぐことになる。

 またマラキ書3章23節には「見よ、わたしは 大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリアをあなたたちに遣わす。」と記されており、イエスの時代の民衆は、エリアを待ち望み、バプテスマのヨハネがエリアの再来と考えていた。そのような民衆に対して、真の預言者エリアが再び来ることは、彼に戸惑いを与えたに違いない。 自分を非難する者、権力を非難する者たちは、抹殺する存在に他ならない。 彼はバプテスマのヨハネの次は、イエスか?という思いがわいてきた。だからこそ、イエスに会ってみたいと思ったと書かれているのではないのか。

 イエスは権力者に阿ることもこびを売るようなこともなかった。イエスは常に虐げられ、差別されている人たち、病に苦しみ、偏見の目で見られている人たちに対して、「神の国」の福音を語り、彼らに癒しという業を通して共同体に復帰させた。このことをルカは今までの箇所で語られている。(イエスの公生涯はそのことを貫いている。)そしてヘロデのことが22章6節以下に書かれている。そしてイエスに対して、「イエスが何かしるしを行うのが見たいと」思うが、無力なイエスに失望し、イエスを十字架につけるための道を手助けすることになる。

 今日私は戸惑うヘロデという宣教題をつけた。準備をしながら思った。この短い箇所は、山上の変貌への伏線となっている。父のヘロデそして次男アンティパスらの 権力者は、イエスを受け入れることはなかった。 私たちは、イエスが誰であるか知っている。だから戸惑うことはない。ヘロデのようにイエスを捉えることは私たちには出来ない。なぜなら、イエスがどのようなお方なのかを知っているからだ。そのことを忘れずに、自分の行動に責任を持ち、アドベントに入るための準備に入ろう。