「待ち望むためには」
エレミヤ書33・14~16
ルカ福音書22・25-36
                                      
 今日からアドベント(待降節)に入る。教会では、この日から十字架の正面にあるアドベントクランツのローソクに一本ずつ火を灯し、クリスマスを迎える準備をする。紫色のローソクは苦難を表している。この期間(11月30日~12月25日)神がこの世に人として来られた(フィリピ2章6~8節)意味を深く心にとめ、喜びの日、クリスマスを迎えたい。

 私たちの人生には苦難がある。そしてその苦難は私たちの人生だけではない。国にも試練がある。すなわち飢餓であり、最たるものが戦争である。「戦争は人間の仕業」であるが、戦争は国を滅ぼし、人間を滅ぼす。

 先週の火曜日からわたしは「東京同宗連」の研修で中国の南京に行き、金曜日の夜10時に成田に着き自宅に戻った。多くのことを学ぶ機会になった。77年前信じられない蛮行が日本軍によって南京の人々を襲った。「老若男女」の人たちがいのちを奪われ、いのちの危険に晒され、家族は離散した。今回は父親、兄、姉、母が被害に合い、幼い自分だけが難を逃れた人の体験談を聞いた。感情を表には出さず淡々と語るその人の姿に静かなる怒りそして私たちに対する赦しを感じることが出来た。

 先に読んだ旧約聖書のエレミヤ書には、苦難を経ての希望が語られている。しかしその希望は彼の時代に実現したというよりも、イエスによってもたらされる。その言葉が「新しい契約」(ルカ22章20節)である。しかしその契約は血によって成就する。(十字架)イエスはその前に終末について語る。

 日本列島では地震が頻発し、火山活動も活発だ。また各国は異常気象に襲われている。気象だけではない。経済も不安定そのもので、アメリカでは「格差」が益々拡がっている。堤茉希さんの近著『沈みゆく大国アメリカ』では、医療格差が真正面に取り上げられている。日本のような皆保険制度がないアメリカでは、十分な医療を受けられない人たちが膨張・拡大していることがこの本には書かれていた。1%の富者と99%の貧者の国それがアメリカの実態である。またアジアの大国となった「中国」も格差社会であることを今回の研修で実感した。上海は中国の経済の繁栄を象徴している。上海の夜景はお台場と横浜と東京にあるウォーターフロントすべてを併せても適わない。その光景に圧倒された。しかしその一方で格差社会の中でドロップした人たちは這い上がることすら出来ない。受験戦争は苛烈そのもので、受験に失敗したならば後はない。ということだ。

 賀川豊彦は、肺結核で医師から余命幾ばくもないと告知されたとき、当時最も貧しい人たちが住んでいた葺合新川に居を構えその人たちと共に歩む。彼の「二等分の涙」を読むと、その姿勢に胸打たれる。

 イエスは終末を語る。「神の国」は近づいたというイエスの言葉を読み解くには、終末を抜きにしてはわからない。エレミヤは「新しい契約」を人々に伝えた。けれども人々はそのエレミヤの言葉に耳を真剣には傾けてはいない。天変地異が起きるから終末は近いというかたちで、人々に恐怖を植え付けるようなかたちで私たちは終末を受け止めてはならないし、恐怖を植え付けるようなかたちで語ることはしてはならない。しかし終末は絵空事ではない。

 大切なことは「今」を生きることである。私たちは死に向かって生きている。大切なことは「いのちの長さ」ではなくその中味である。だからこそ日々の私たちの生き方が問われているのである。