【私の息子】
ルカ福音書3章21~38節
 ヘボン塾からはじまった明治学院が150年を迎える。日米修好通商条約にもとづき神奈川・長崎に港が開かれ、200年以上続いた徳川時代の「鎖国」政策は終わる。沖縄ではすでに英国琉球海軍宣教教会のBJベッテルハイムが来て宣教を開始していたが、開港の年にやってきたのは、プロテスタント・キリスト教会の宣教師CMウイリアムズ、JCヘップバルン(ヘボン)、SRブラウン、CFフルベック(フルベッキ)の4人である。ヘボンは、米国長老派教会系医療伝道宣教師であり、 ヘボン式ローマ字の創始者で、明治学院を創設した。

 賀川豊彦は、明治学院に入学後、神戸神学校で学ぶ。その明治学院大学キリスト教研究所から「境界を超えるキリスト教」という本が教文館から出版された。その中に賀川豊彦記念松沢資料館館長の加山久夫氏が書いた「賀川豊彦と公共神学」という論文が収められている。賀川豊彦を知ることは、この教会にとって大きな意味がある。私は東京教区部落解放五支区代表者会で「貧民心理の研究」を丁寧に読み、彼の中にある「社会進化論的」な考え方は支持出来ない。

 また「満州キリスト教会開拓村」についても同様である。けれども、今日の社会を考えると、彼が見ていた視点は決して古いものではない。彼のまなざしは、「貧しい人々」に注がれていた。そしてその人たちを救済する為に様々な事業を展開した。私たちは、彼を批判的側面からも継承しなくてはならない。バプテスマのヨハネは、16節で「わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない」といっている。

 なぜ、イエスがバプテスマを受けられたのか、積極的には共観福音書は語ってはいない。バプテスマのヨハネは、ヨルダン川でバプテスマを施したとある。ヨルダン川は世界で一番低い所を流れている川である。ということはイエスがヨルダン川で洗礼を受けたのは地球で最も低い所まで下られたということになる。(エフェソの信徒への手紙4章9~10節。)そしてルカだけがイエスは、洗礼(バプテスマ)を受けた後、祈っておられたことで何が起きたのかと記す。「天が開け、わたしの息子」という声が天からする。

 すなわち、イエスの受洗を天が祝福された。この天が開いたということをルカは、使徒言行録で二度伝えている。イエスが宣教を始められるとき「天が祝福される」そしてイエスは30歳で宣教を開始する。ルカはイエスの系図で神に至る(さかのぼる)系図を記している。ルカは救済の源となるイエスを浮かび上がらせる。息子がいると言うことは父がいる。

 30歳で神の国の宣教を開始する前にイエスは洗礼を受けられる。そして祈ると「天から声がする」イエスは、弟子たちに教えられた「主の祈り」で神を父と呼ぶ。「アバ父よ」ここには、深い父と息子との信頼関係が物語られている。イエスを通して、わたしたちは神の姿を見、神のかたちを見る。わたしの息子とは、イエスと父なる神との関係を言い表している。その働きこそが参与することこそが、神の宣教(ミッショディ)に他ならない。