【平和を祈ろう】
 平和聖日合同礼拝メッセージ 
 
ミカ書5章1~5節 ルカによる福音書2章14節

 戦後68年が過ぎた。長崎の田上市長は、9日の式典で、次のように語った。「日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。(中略)日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。」これが唯一の被爆国である日本政府の核に対する態度なのである。

 被爆国が、核の平和利用と云う名目で54基の原発を作り、東日本大震災でメルトダウン(スルー)を起こした福島第一原発は、なぜ、こんなに早く収束宣言をするのだろうと思っていたが、その後もトラブル続きで、今は海に流れる汚染水の流失を食い止めようとしているが、打開策を見いだすことすら出来ていない。

 平和とは、戦争がない状態を指していると考えるが、そうではない。競争社会の中で、弱者が切り捨てられ、人権が踏みにじられ、差別が公然とまかり通る。今盛んに行われている。「在日外国人」の人たちへのヘイトスピーチがなされていると云うことは、平和とは言えない。環境に配慮し、自然と共生し、そのうめきを聞く(ローマ8・22)という感性がないということは平和とは言えない。ましてや現政権が「憲法改(壊)憲」を目論見、集団的自衛権を行使しようとする動きに対しては、大きな危惧を抱く。

 私たちは礼拝の中で、「戦責告白」をした。この文書は、今から46年前になされた。今、ミカ書とルカによる福音書を読んだ。ミカはイザヤと同じ時代に生きた預言者である。預言者は徹底的に神との繋がりに生きる。そして神の正義を貫く。彼は、3章で痛烈に指導者たちの罪を告発する。そしてあのマタイ福音書2章6節にあるように神の到来をもたらす「メシア」について預言する。私たちは彼が指し示す「メシア」をイエスと信じる。ルカではそのメッセージが天使を通して羊飼いたちに告げられる。