【先 駆 者】
 ルカによる福音書1章57~66節

 今、NHKの大河ドラマでは、後に新島襄のパートナーとなる新島八重が主人公の「八重の桜」が放映されている。戊辰戦争(会津)で彼女は大きな役割を果たし、リーダーシップを発揮する。元祖ハンサムウーマンは、その後、新島襄と結婚、彼と共に「同志社」を創立する。多彩な才能に恵まれた彼女は、茶道家であり、看護師でもあった。けれども優れた指導者、リーダーによってだけで「歴史」は創られてはいない。

 エジプトが内戦状態となりつつあると、報道されていたが、1年前は、ソーシャルネットワーキングサービスによって、民主的な大統領が選ばれたはずであったのに、その大統領は1年足らずで退陣した。今後、エジプトがどのような国となるのか、早く安定した社会となることを願っている。シリアの内線も未だ見通しが立たない。

 今読んでいただいた聖書には、バプテスマのヨハネの父ザカリアの口が開らかれ、舌がほどけて、神を讃美する。後半では、ザカリアの預言とその内容が語られている。パートナーのエリサベトは老年になって妊娠し、出産する。

 ホームページ委員会で、私が宣教で語り、その後先週のメッセージとして、書いた「石女」という表現は差別用語ではないか、不妊(症)で良いのではないのか、と言うことになった。もう一度25節の言葉を聞いておこう。そして創世記30章23節を読む。「神が私の恥をすすいで下さった」とその子の誕生を心からラケルは神に感謝する。そして与えられたのがヨセフである。不思議である。ラケル、ハンナ、二人とも不妊の女性である。彼女たちは、不妊(症)ゆえに律法によれば祝福の外にいる。その女性たちを主が祝福のしるしとして、子どもをお与えになられる。

 久々に登場する人がいる。それが父ザカリアに他ならない。彼のことはルカによる福音書の1章5節以下に記されていた。彼は天使ガブリエルの言葉を信じることが出来ずに、息子のヨハネが誕生するまで口がきけなくなった。

 慣習に従って生まれた赤ん坊に割礼をするために、集まった人々は、ザカリアという名を付けようとする。それは当時の社会ではきわめて常識的なことである。けれども、エリサベトは「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と答えている。この名前は、最初にザカリアに天使ガブリエルがヨハネ(主は慈しみ深い)と名付けよとした名である。ここでエリサベトは、この子の誕生は、不思議な力による誕生であるとする。そして先ほどから見てきたように、ザカリアは、バプテスマのヨハネが誕生するまで口がきけなかった。耳も聞こえなかった。そしてエリサベト同様に彼もまたヨハネと名付ける。すると先ほどから読んできたように口がきけるようになる。このようにして、バプテスマのヨハネは「先駆者」として、イエスの道を備える者となる。

 バプテスマのヨハネについて福音書は「ヨハネが捕らえられた後」(マルコ1・14他)と記している。ヨハネという存在がいかに大きい、偉大であるのか、彼は、神を指し示す指であり、先駆者として、その名が記される。けれども歴史はそのような人たちによってのみ、創られてはいない。名も知れぬ人たちもまた歴史を創っているのではなかろうか。