【物語のはじまり】
             【ルカによる福音書を分かちあうために】
                                         
   二つの文書を書いたルカ
 今月から礼拝の宣教で分かちあうルカによる福音書の著者は、福音書と使徒言行録を通して、「歴史」(救済史)を著したといわれている。聖書によれば、コロサイ信徒への手紙4章14節、フィレモンへの手紙、Uテモテへの手紙4章11節また使徒言行録における第一人称複数形「わたしたち」の部分(使徒言行録16:10〜18、20:5〜21:18、27:1〜28:16)にルカが含まれているとするならば、彼は医師であり、パウロの同労者のひとりであり、ローマに投獄された彼を支えた人で、福音宣教の旅に同行し、彼の健康を支え、その後、二つの文書すなわち、福音書と使徒言行録を通して、イエスからはじまる初代教会の歴史すなわち、最初期のキリスト教共同体の姿を著したということになる。

 彼は一つの意図でこの歴史(救済史)をあらわした。すなわち、律法と預言者の時である「イスラエルの時」(旧約)そして「時の中心」としてのイエスの時、その後の「教会の時」をこの二つの文書であらわした。この文書には、終末論が土台に据えられていることを忘れてはならない。

 実際、その「歴史」がどれほどの正確で精緻な記録によって書かれたのかはわからない。2000年前の文書であるので、現代の歴史学の手法とは異なるが、けれども、彼はこの福音書を書き記すために、マルコ福音書と彼独自の資料等を編集して、ルカ福音書をあらわした。

 ルカによる福音書の特徴の一つに「冨と貧困」が挙げられる。(代表的な譬えが金持ちとラザロである)イエスは、平野の説教の冒頭で「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。」(6:20)と語っている。

 イエスは貧しい人々と共に生きた。差別され、虐げられた人々に「神の国」のメッセージを語り、彼ら/彼女らに生きる勇気を与えて、復活の証人として生かされている教会は、その人たちを排除する教会であってはならないという。そのことはマルコ福音書の「弟子批判」の(マルコ6章など)箇所からも読み解くことが出来る。

   異なった意見との対話が大切
 教会は、「信仰共同体」・「信仰協働体」である。すなわち、礼拝を中心とした共同体と言うことになる。もしも、礼拝を蔑ろにして、様々なマイノリティーの人たちと連帯し、社会正義のために戦うだけでは、それはもはや教会と呼ぶことは出来ない。けれども、礼拝だけを献げ、自分と神との関係のみ終始し、己の「安心立命」のみを追及するのであれば、これもまた教会とは言えない。

 わたしたちは、神に仕え、隣人を大切にする(わたしたちが小さくしてしまっている人たち)共同体でなければならない。

 わたしたちの教会は、二つの中心点(礼拝と社会正義)を据えた楕円形の教会であり続けたいと考えている。

 けれども、己の「安心立命」を求め、居場所を求めてくる人たちに対して、原発稼働に反対しない人は教会の仲間になれない。差別の問題に対して無関心ではダメだ。憲法改憲(壊憲)に対してNOと言う考え方を持たない人は、教会の輪には加わることは出来ない。等々の雰囲気でその人たちを教会から遠のけるのではなく、ルカ福音書を中心にして、イエスが「今」生きておられたなら、どのような態度でこれらのことに望まれたのか、神は聖書を通して、どのように生きることが聖書に生きることなのか、礼拝を通して聖書から聴きたいと願っている。それは、一人ひとりがそれぞれの「現場」で主体的に聖書を読む。循環的な作業を抜きにしてはありえない。

   こうしてはじまった
 今、わたしはこの原稿をペンテコステの「出来事」を思いつつ書いている。イエスの復活を契機に歩み出した教会はイエスの命令に従って、「エルサレム」を離れずにその約束を信じ待ち望む。そしてペンテコステ(五旬祭)の時を迎える。その時の光景を聖書は、このように記している。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒言行録2:1〜3)

 ここには、みんなで集まって礼拝を献げているとき、この出来事が起こったと記されている。そこから教会の歴史がはじまる。その教会は、使徒の教え、相互の交わり(けがれをも分け合う交わり)、パンを裂く集いと祈りを大切にする共同体であり、相互扶助によって形づくられる共同体であったといわれている。それこそが、真の教会の姿なのではなかろうか。

 教会は、イエスの再臨の時を待ち望む「信仰共同体」である。あのルカやパウロが間近であると信じていた再臨は未だ来てはいない。「旅する教会」は、その時を待ち望みながら、礼拝を献げ、隣人を大切にする共同体である。そしてその共同体は、「見張り番」(エゼキエル書33章)としての役割を怠ってはならない。

 戦後レジームからの脱却を掲げた安倍内閣はわたしたちを何処に導こうとしているのか、果たしてその船に乗船することが神の御心なのか、それともNOと言うことが神の御心なのか、一人ひとりが聖書から聴くものでありたい。

 イエスの再臨を信じ、「急ぎつつ、待ちつつ」終末に向かって「旅する教会」として歩み続けていこう。
 
                   
【物語のはじまり】
                            ルカによる福音書1章1〜4節
 今日から、ルカによる福音書を共に読み、分かちあう。福音書は、単なる伝記(イエス伝)ではない。多くの学者は、マルコによる福音書が最初に書かれ、マルコを土台にして、それぞれの資料を加えてマタイとルカ福音書が編集された。今のように記録するためのカメラも、メモをその場で取ることもなかったので、人々が口から口へと伝えていったイエスの物語を纏めてマタイ・マルコ・ルカ福音書は書かれたと言う。ルカ福音書を纏めたルカは、パウロと深い繋がりがあったと言われる。

 ルカの名は、コロサイ信徒への手紙4章14節,Uテモテへの手紙4章11節、フィレモンの手紙24章に登場する。これらは、すべてパウロの獄中の事情に関連している。パウロは「愛する医者ルカ」(コロ4・14)と呼び,同労者の一人であり、使徒言行録の第一人称複数形「わたしたち」の部分(使16:10−17,使20:5−21:18,使27:1−28:16)のルカが「わたし」であるとすると、エルサレムへの最後の旅、ローマへの航海、少なくともローマにおけるパウロの2回の投獄を通じて、パウロに同伴したのが、ルカと言うことになる。このルカが、二つの文書(福音書と使徒言行録)を書いた。そしてこの著は「歴史」(救済史)として書かれたとされている。その背景には、終末の遅延があると言われる。彼は、この「歴史」(救済史)を@律法と預言者の時である「イスラエルの時」A歴史の中心としての「イエスの時」B聖霊が働く「教会の時」として三段階に分けて叙述することにより、終末は一連のプロセスを経た後に到来すると考えていた。

 今日は、ルカによる福音書の1章1〜4節を分かちあう。最初にルカは、なぜ、この歴史を書くのか、その動機が語られている。彼は、この二つの文書をテオフィロに献呈するようなかたちで書きはじめているが、この人物が実在した人物なのか、どうかは定かではないが、このテオフィロと言う名前が、「神の友よ」という意味となるのは、興味深い。

 ルカは、マルコ福音書と他の資料をもとにイエスの誕生・彼の「神の国」運動と弟子たちへの訓練・教育を書き、そしてイエスの「受難」・「十字架」・「復活」の出来事を福音書であらわした後、イエス昇天後の弟子たちの記録の歴史として、使徒言行録を書いた。

 ルカ福音書を分かち合い、学び合うためには、他の福音書(マタイ・マルコ)も並行して読むことになる。ルカの特徴の一つに「貧しさ」がある。

 イエスの誕生、そして羊飼いの訪問からそのことの物語がはじめられる。マタイの「心の貧しい人たち」をルカはストレートに「貧しい人たちは」と言い、「金持ちとラザロ」の物語などでもそのことにスポットをあてる。

 これから、この福音書を中心にイエスの生きざまについて学ぶと共に、イエスに「信従」する者として、わたしたちはどのように振る舞わねばならないのか、それぞれの遣わされている「現場」を通してそのことについて考えたい。そしてこの福音書が語るメッセージに耳を傾けたいと願っている。

 聖書は、神を信じる者の幸いを語ると共に神を信じる者の生き方について語る。わたしたちは、このことを忘れてはならない。

 野坂昭如の著『終末論』の中で、戦後の焼け野原から立ち上がったことと、そして復興を促進させた一つの要因に「朝鮮特需」が挙げられていた。「国益」を中心とした国づくりでは、隣国の南北の悲劇は語られることは少なく、その恩恵だけが語られる。それで良いのか。そのことをわたしたちは、この福音書を通して、神の御心を知りたいと思う。