【仲間に支えられて】NO1
                       ローマ信徒への手紙16章1〜5節

 「おひとりさまの老後」など、老齢者ケアなどについての著作がある上野千鶴子さんは、フェミニズムの視点で様々な問題提起をする社会学者である。彼女の東大での最終講義の題名は、『生き延びるための思想』である。その最終講義がDVDになっている。その講義は、「3.・11」を踏まえての講義であった。そこで、自分史を語り、彼女がクリスチャンホームで育ったことを知った。フェミニズムとは、「女が男のように強者になりたい」と思った思想ではない。人がだんだん老い衰えて死を迎えるときには、国籍、性別、年齢にかかわらず、どんな人だって弱者になる。その弱者の最期をどうやって支えるのかというケアの問題は、ジェンダーに深く関わっている」と言う。すなわち、弱者の視点で、当事者性を土台に据えて考えることが、フェミニズム思想の本質であることを確認した。

 ローマ信徒への手紙16章には「よろしく」という言葉が10回以上出てくる。そして、多くの名前が登場する。今日はその中で、1節、3節に登場する名前を通して分かちあいたい。当時の郵便は、公な物を届けるだけで、個人の郵便物を届けることはなかった。パウロは、最初に登場するフェベを宛先にして、この手紙を彼女に託した。(ある説では、宛先はローマではなく、エフェソであると考えている)

 彼女は、ケンクレアイ教会の役員「執事」である。それもかなり有力な役員(フィリピ1章1節、テモテ3章8節)であると考えられる。「紹介します」という言葉は、「推薦します」という意味が込められている。次ぎに登場するのが、3節にあるプリスカとアキラである。(使徒18章2節、18節、26節、18章1〜4節、18〜23節)には、彼女、彼らの存在がどれほどパウロを力づけたことか、彼はこのような人たちによって、支えられた。

 今週と来週の宣教題を「仲間に支えられて」と言う題にした。教会は、「聖徒の交わり」である。この交わりは、相手をありのままに受けいけることによって、成立し、出発する。すなわち、みんなちがって、みんないい。と言う価値観を土台に据えた交わりである。私たちは、このことを決して忘れてはならない。しかも、この交わりは、女性の視点を尊重する交わりである。ここには、26人の名前が連ねられている。15節のフィロロゴとユリアは、奴隷に多く見られる名前であるといわれている。パウロの宣教は、都市でなされたと言われているが、フィレモンの手紙に登場するオネシモの名前があることからも、彼が単なる都市志向ではないことがわかる。けれども、彼は、時代の子である。それゆえに、当時の価値観を全く引きずってはいないとは言えない。しかし、このフィレモンの信徒への手紙や今読んできたローマ信徒への手紙には、このような様々な境遇の人たちが彼の周囲にいた。と言うことは、特出すべき事ではないのか、パウロは、ここに名前があげられているひとりひとりによって支えられた。

 伝道と言う言葉が盛んに言われている。その時、私たちはその言葉を教会形成とセットで考える。しかし、そうであるならば、伝道とは、種まきであり、刈り入れは念頭にはないことになる。(マルコ4章)そして、たくさん、たくさん種まきをしましょう。と言うことになる。しかし、既に種はイエスによって蒔かれたとするなら、私たちは蒔かれた種の刈り入れが託されているということだ。効率論(「選択」と集中)で伝道を考えることは出来ない。教会には、様々な人たちが居る。私たちはその人たちひとりひとりを神が掛け替えのない存在として用いて下さることを知らねばならない。