ルカ福音書2章41~52節

10月は、教団行事として、「世界聖餐日」・「世界宣教日」を皮切りに伝道献身者奨励日・神学校日・教育週間と続く。そして10月31日の「宗教改革日」を迎える。聖餐とは何か、宣教とは何か、今日の礼拝では考えたい。週報にも若干書いたが、先週斉藤宏牧師の「いま、賀川豊彦に聞く」の水元教会で三回にわたって予定されている第1回目の講演があつた。第一回目は賀川豊彦とは誰か-その生を貫いた者-である。
イエスが「公生涯」に入られる前のこととして、幼児期、少年期のイエスが描かれている。その二つに共通しているのが、エルサレムである。イエスは両親といっしょに過越祭(出エジプト記12章24~27)の時にエルサレム神殿に行く。そして両親は、祭りが終わったので、エルサレムから故郷のナザレに帰郷するが、その旅の途中でいっしょにいたはずのイエスの姿を見つけ出すことが出来ず、あわててエルサレムに向けて引き返す。
漸く見つけると、イエスは、「神殿」で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問をしていた。そしてその時イエスは、12歳であったと記されている。イエスの時代は、13歳で律法を守ることが義務づけられていたので、12歳は極めて重要な準備期間であった。しかし、イエスはいならぶ学者たちに対して、話を聞き、適切に質問する。イエスを見つけ出し安心したマリヤは「なぜこんなことをしてくれたのです。ご覧なさい、お父さんもわたしも心配していたのです。」それに対して、イエスは、「どうしてわたしを探したのですか。わたしが父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」イエスは、父なる神と自分との関係を自覚しておられる。
その後、イエスがどのような準備をして「公生涯」に入られたのかは、聖書は記していない。幼児、そして12歳までの間何をして過ごされたのか、その後はどのような歩みをされて、「神の国」を宣教されたのかは、記されてはいない。イエスは、準備を整えてバプテスマのヨハネに会い、神の宣教の業が開始される。
今日私は、宣教題を「旅立つ前に」とした。イエスは、ナザレからエルサレムへと旅立たれる。ルカ福音書にとって、旅は重要なキーワードになっている。イエスは、やがて私たちを解放するために旅立たれる。(ルカ9・51~19・27)それが十字架への道に他ならない。賀川は「贖罪論」を説くよりも「贖罪愛」実践を説いたことを加山久夫氏は「日本キリスト教史における賀川豊彦」という講演で述べている。(『日本の神学』52)
私たちは、この日、聖餐について、宣教について考えている。上から目線の「宣教論」では、賀川豊彦の「贖罪愛」は理解出来ない。私たちは、この日イエスがわたしたちを解放するためにどこに向かって旅立たれたのかを想起しなければならない。それがどのようなことであったのか、これからルカによる福音書を通して分かち合いたい。こうして「神の国」福音宣教の旅がこれからはじまる。


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