【神の怒りに任せなさい】
                     ローマ信徒への手紙12章18〜21節

 日本の宣教は1549(天文18)年、フランシスコザビエルによって開始された。その後、徳川幕府によって「鎖国」政策がとられ、1858年「日米修好通商条約締結」で居留地においては外国人の信教の自由は認められた。

 それ以前はカトリック教会が1844(天保15)年5月、「琉球」那覇で、プロテスタントは、1846(弘化3)年5月ベッテルハイムが那覇に上陸して宣教が再開される。当時の人たちに「宣教師」は何を持って、キリストの福音(香り)を伝えたのか、私たちはその歴史に学ばねばならない。

 今、日本から宣教師(日本キリスト教団)としてインド、マレーシア、フィリピン、台湾、韓国などのアジア諸国、アメリカ、カナダの北アメリカ、ブラジル、ボリビアなどのの南アメリカ、ベルギー、ドイツなどのヨーロッパで退任教師も含めて23人が宣教師としてそれぞれの役割を担っている。故小山晃祐師の「水牛の神学」はそのような文脈の中で生まれた「現場の神学」である。

 私たちは、この時様々な地での宣教の働きを覚えると共に、カトリックとプロテスタントの一致を願って祈りを共にする日「世界聖餐日」としてこの礼拝を献げている。

 「リマ文書」にはこのように記されている「聖餐を祝うことそれ自体が、この世界に対する神の宣教のみ業に参与する教会の宣教のわざのひとつなのである。この参与はさらに、福音を宣べ伝え、隣人に仕え、この世界に誠実に生きるという日常的なかたちを取ることである」

 パウロはここで「できることならば」と言っている。続けて「すべての人と平和に暮らしなさい」という。彼の時代はパックスロマーナと呼ばれていた時代である。そして今日は、パックスアメリカーナである。すなわち「武力」によって平和を維持する。享受するということである。「目には目、歯には歯」と言うことは、本来のハンビラム法典によれば、やられたらやり返せと言う意味ではなく、相手にやられたら、同じダメージまではあたえても良いという「同害報酬」を意味した。

 以前宣教で「山上の説教」(マタイ5章38節)で学び合ったように、イエスはそのことすら禁じている。これは単なる理想であり、現実はそう甘くはない。と言うのが、昨今の社会情勢であるからこそ、私は日本国憲法「9条」を大切にしていきたい。これは個人の倫理にだけ適応すればよいとは思わない。

 パウロは、危険が身に迫る中で、このことを言っている。さらにパウロの言葉は続く。「復讐はわたしのすること」これは申命記32章35節からの引用である。

 さらに「燃える炭火を彼の頭に積むことになる」は箴言25章21〜22節の引用である。エジプトでは、回心した者は鍋を頭の上に載せそこに炭火をおいた宗教儀式が行われた。パウロはそのことを踏まえて書いたと言われている。

 「山上の説教」の言葉を私たちの生き方の道標としてパウロは、「敵をも愛せよ。」「敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。」とイエスの教えを語っている。平和を実現するとは、イエスが言われるように敵をも大切にすることである。その時、敵もそのイエスの生き方に感服してしまう。

 すなわち、あまりに良くされた結果、恥を受けて赤面してしまう。聖書のメッセージ平和(シャローム)は、徹底的に「敵」を愛する(大切にする)。その結果、敵は敵とはもはやならない。やられたら、やり返すと言う価値観から脱皮し、イエスの言葉を大切にして、「世界聖餐日」のこの日、「主の食卓」に共に与ろう。そして共にイエスのような生き方に学び、主の御心に適った「主の食卓」に招かれているものとして相応しい歩みをしたい。