【キリストに属するとは】          

             



 東日本大震災から、昨日で11ヶ月が過ぎました。被災地では、犠牲になられた方々を偲び、追悼の式が行われたと、朝のニュースで放送されていました。被災地の現状を考えると、胸が痛くなります。「復興庁」が漸く出来ました。

 アメリカの作家のナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』という本が上下二巻で岩波から翻訳され、出版されました。サブタイトルは「惨事便乗型資本主義の正体を暴く」です。そこには悲惨なことが起きると、それを種にして金儲けをする人たちの現状が書かれています。

 アメリカ政府とグローバル企業は、戦争、津波やハリケーンなどの自然災害、政変などの危機につけこんで、あるいはそれを意識的に招いて、人々がショックと茫然自失からさめる前に、およそ不可能と思われるような過激な経済改革を強行する。このような考え方は、ケインズ主義に反対して徹底的に市場原理主義、規制撤廃、民営化を主張したアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンに源があるといっています。そしてそのことが「ショック療法」=アメリカCIAによる拷問手法が重なることを明らかにしています。

 都市型災害と違う「東日本大震災」が、このようなハエエナが集るものにしてはなりません。その意味では、今盛んに「公務員は優遇されすぎている。公務員改革は、絶対に必要だ。」と言う人の中に、もしもこのような考え方をする人がいるとすれば、それは憂慮すべき事態です。

 今、アメリカでは大統領の予備選挙が行われています。どの候補も教会に繋がっています。アメリカでは、白人・アングロサクソン・プロテスタント(wap)であることが大統領の条件のように言われてきました。ケネディーやオバマはその意味では例外です。また共和党の候補でモルモン教を信じている大統領候補が、現職のオバマと闘うことになるとすれば、アメリカの大統領選挙はじまって以来のことになります。

 今日の聖書を共に分かち合うための準備と並行して、月報の原稿を書きました。筆足らず、舌足らずではありますが、1月29日の全体協議会を踏まえて、次年度の宣教方針案を書かせて戴きました。Tコリント信徒への手紙1章2節には、神の教会という言葉が使われています。また26節以下には、神の教会の構成メンバーがどのような人々であったかが、記されています。パウロは、ローマ信徒への手紙8章1節で「キリストに結ばれている人は、罪に定められることはない。」すなわち、裁判で、有罪となることはない、とはっきり断言します。

 そして、そのような人は、肉に従って歩むことなく、霊に従って歩むと言います。肉とは、神との関係に敗れた状態を指します。5章12節以下を読むと、アダム(創世記2〜3章)を通してそのことを語ります。そして、「罪」に定められた者が、「洗礼」によって新しい生を受けたとパウロは6章で語ります。けれども、私たち自身のことを考えると、決してそのように言い切ることが出来ない自分がいます。

 ガラテヤ信徒への手紙2章19〜20節で「生きているのは、もはやわたしではありません。」と語ります。すなわち、キリストによって生かされていると言うのです。

 パウロは、ここで「キリストに属するもの」とは、キリストに結ばれているもの、霊に従って歩むもの、神に喜ばれるものであって、神に敵対するものではない.と言います。そして、その霊に生きるものは、神の霊が宿っています。

 教会では、このような霊によっていかされていることを、「聖化」・「聖潔」といいます。すなわち、キリストに属する者とは、キリストに似るということを意味しています。その時、私たちはキリストの恵みを生きることが出来るのです。