ローマ信徒への手紙6・5〜11

        【キリストと共に生きるものへ】

 「東京同宗連」の部落解放基礎講座で、大阪に行ってきました。わたしにとってはハードスケジュールでしたが、とても良い研修が出来ました。大阪人権プラザでは、「部落問題」だけではなく、在日韓国・朝鮮、障がい者、アイヌの人々が、どのような差別を受けてきたのかが、一目瞭然にわかるコーナーがありました。その後、在日韓国人三世の方から、在日コリアンの歴史と現状、そして今後の課題について聞きました。

 日本人が、朝鮮半島を侵略した結果、もとから住んでいた人たちが押し出され、大阪に移住することを余儀なくされたのです。「侵略」とは、相手を有無も言わさずに追い出す行為であることを、あらためて知る時となりました。二日目は、大阪の四天王寺を見学しました。この寺院は聖徳太子が建立した寺で、神仏混合の日本のここにしかない「和宗」寺院で、当時は「迎賓館」の役割を持ち、西門で、外国人の来賓の方々を迎え入れ、この場所から、休息を得て、都があった奈良に向かったということでした。この寺で人々は「浄土」を願い、信仰しました。広辞苑によれば、浄土とは、悪道のない仏・菩薩が住む国という意味です。

 私は、僧侶の説明を聞きながら、聖書で考えると「救い」のことを言っているのでは…と、考えました。その後、大阪城の砲兵場跡を見学し、一泊二日の有意義な研修が終わりました。

 パウロは、6章1〜4節で、「洗礼」バプテスマの意味について語ります。「キリストと共に死に、そして生きる」という恵みを語り続けています。キリストと一体となる。と5節にあります。5章12節以下では、アダムとキリストが対比して語られていました。すなわち、来るべきアダムとして、キリストが語られます。私たちは、このキリストによって、神との平和を得る恵みに浴しています。けれども、間違ってはいけないことがあります。

 それは、私たちは決して神にはなれない。いくら科学技術が進歩しても、万能というわけにはいきません。安全と言われた原発が地震と津波で電源が消失し、「炉心溶融」(メルトダウン)に陥り、放射能が拡散し、政府の「直ちには健康に害はない」と報道されていても、不安でたまらない人たちが大勢います。

 実際、ある専門家によれば、「すでにメルトダウンの状態からメルトスルー(貫通)している」と聞くと、報道にすら疑いを持つのは当然ではないでしょうか。絶対に安心、「核」は、平和利用も可能だ。地球環境に優しい。と言われ続け、被爆国であるにもかかわらずこれを推進してきた私たちの国は、今、方向転換を迫られているのです。科学が絶対となるとき、何が起こるのか、私たちは知らなくてはなりません。「鉄腕アトム」を描いた手塚治さんが、アトムの哀しみと言う文章で、次のような趣旨のことを言っています。「鉄腕アトムで描きたかったことは、一言で言えば、科学と人間のディスコミュニケーションということです。」「バベルの塔の物語」が語るように、神になれない人間が神のように自分たちは何でもできる。生命すら作れる。と思い込んでしまうとき、大きな過ちが生まれます。難病に効く新薬が発見されれば、その新薬では効かない耐性の病気が新たに発症します。

 人生90年の時代、日野原重明先生が100歳になったと言うことが先般報道されていましたが、私たちは有限な存在であり、死に向かう存在であると言うことを忘れてはなりません。すなわち永遠に生きる、永遠のいのちとは永遠の時間を生きるというよりも、神さまとの関係の中にあるということです。

 6章5節の「一体となって…」をローマ信徒への手紙11章17〜24節の「接ぎ木」の箇所と、イエスご自身が語られたヨハネ福音書の15章の「ぶどうの木」を通して考えます。私たちは、キリストと言う幹に繋がることで、養分を戴き成長するのです。キリストに繋がらなければ、私たちは成長することは出来ないのです。このように考えると、「一体」・「合体」(本田哲郎訳)するということは、私たちがキリストとつながるということです。その時「古い自分」から解放されます。

 すなわち、罪に支配された体が滅びる。機能を止められる。働かないようになるというのです。ですから、キリストと共に十字架につけられるということは、ガラテヤ2章19節を読むと、イメージがつかめます。他にもローマ6・2、7・4、6、Uコリ5・15・Tペトロ2・24節 を読むと、神さまの一方的な好意によって、もはやキリストに結ばれた者たちは、「古い自分」が死に、新たなキリストにあるいのちを受けるのです。「キリストと共に生きる者へ」これは、私たちの願いです。そのためには、しっかりとキリストという「まことのぶどうの木」に繋がることです。神さまは私たちをそのように招いておられます。