【秘められた意味】
ヨハネ黙示録17章1~18節

 狭山事件の主任弁護人の中山武敏さんの自伝『人間に光あれ』を読んだ。彼は石川一雄さん同様に「被差別部落」の出身で、苦学して弁護士になった。ほかにも東京大空襲訴訟、重慶大爆撃訴訟、植村訴訟などの裁判の弁護団長をしておられる。社会正義のために闘っておられることをこの自伝を通して知った。

 ヨハネはここで戸惑うような「大淫婦」という表現をあえてしている。16章19節には「あの大きな都が三つに引き裂かれ、諸国の民の方々の町が倒れた。神は大バビロンをおもいおこして、ご自分の激しい怒りのぶどう酒の杯をお与えになった。」とある。

 この大バビロンこそが、ローマ帝国である。天使はヨハネに語りかける。「ここに来なさい。多くの水の上に立っている大淫婦の裁きを見せよう。」この水の上に立つという表現は、支配を意味する。支配は力によって行われる。それは現代では経済と軍事に他ならない。

 架空の怪物レビヤタンは「日に呪いをかける者/レビヤタンを呼び起こす力がある者が/その日を呪うがよい。」(ヨブ記3章8節)。このレビヤタンこそが、トマス・ホップスが語った「リバイアサン」に他ならない。

 彼は言う。「万人が万人と戦う状態を回避するためには、個々の人々が自分の権利を放棄して主権者(=王)に委ねるがよい」。主権者が力(国家暴力)を有するとき、社会の秩序は維持される。それらの王の中でも最も独裁者として君臨したのが、ネロであり、その三大後のドミティアヌスに他ならない。

 ローマ帝国(獣)に支配された民衆、迫害・弾圧下の中にキリスト者はいた。

 聖書学者達はここでダニエル書7章を読むことでその意味がわかるという。ダニエルは幻を見る。そこには、①獅子、②熊、③豹、そして第四の獣が登場する。他の獣とは異なって、これには十本の角があった。これらは、新バビロニア帝国、メディア王国、ペルシャ帝国、アレキサンドロス王国をあらわしている。

 「わたしは、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。」女は、首都ローマを象徴し、赤色は富と繁栄を象徴する。まさに神の前に審判の対象となるそれがローマ帝国に他ならない。苛烈な迫害・弾圧下の中で、ヨハネを通して、キリスト者は告白する。

 「小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者たちもまた、勝利を収める。」力による支配は圧倒的なものとして受けとめられる。世界はイエスの御心とは違う方向に進んでいる。

 南北格差は拡がり、経済の仕組みは富者のためにあるようだ。それが世界の現実の姿である。しかし、レビヤタンは小羊に勝てない。「その日、主は/厳しく、大きく、強い剣をもって/逃げる蛇レビヤタン/曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し/また海にいる竜を殺される。」(イザヤ書27章1節)。

 最終的に勝利するのは小羊である。権力に抗うほどわたしたちは強くはない。殉教という言葉を聞けば、怖じ惑うわたしがいる。出る杭は打たれる。と思えばそのような行動は難しい。

 中山武敏弁護士のようにマイノリティーの人たちと連帯することは容易いことではない。だからこそ、わたしたちは命の書に記された者として、聖霊の導きを祈らずにはおられない。神の御心を祈る者だけが、その道を歩むことが出来る。共に聖霊の導きを祈ろう。