【投げ落とされた】
 ヨハネ黙示録12章1~6節

 5月28日に川崎市多摩区でスクールバスを待っていた小学生と保護者が殺傷される凄惨な事件が起きた。

 「一人で死ねばいいのに…」というテレビのコメンテーターの発言に対して、「遺族が強い言葉で非難することは当然でしょう。しかし社会的影響力がある人物であれば、怒りを表現する前に一呼吸おいて、その言葉の持つ暴力性や社会への影響力を一考してほしい。

 「殺すな!生きろ!」と言えず「一人で死ね」というこのコメンテーターのコメントに対する藤田孝典氏の反論に対して、賛否両論の意見がネット上に飛び交っている。

 池田小学校殺傷事件でわが子のいのちを奪われた母親が、PTSDから立ち上がって、カウンセラーをしていることが報道されていた。また世界に目を転じれば、祖国を追われた難民、人権を侵害されている人たちがいる。

 ヨハネ黙示録は「戦争文学」、「幻想文学」と捉えて読むこともできる。そこに語られている光景をわたしたちは十分に理解することは出来ない。

 「一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には12の星の冠をかぶっていた。」この太陽をまとっている女とは誰なのか、2節には身ごもって、子どもを産んだと記されている。女が身ごもるという事を考える時、わたしは二人の女性を思い起した。一人は創世記に登場するエバ。もう一人はイエスの母マリアである。神の言葉に従ったマリア、神の言葉に従わなかったエバ。その結果、アダムとエバは楽園を追い出され、アダムは額に汗し、エバは産みの苦しみを味わうことになる。物語はその後、カインとアベルの物語へと続いていく。

 イスラエルの歴史は背信の歴史に他ならない。パウロの教会も、他の使徒たちによって建てられた教会にも破れがあった。

 完璧な集団、信仰共同体とはほど遠いそれが教会の姿である。マリアはこの世の不条理を痛感する。主に従っても先が見えない現実がそこにはある。あの凄惨な事件、そして世界の悲惨な状況…をわたしたちは受け入れることも、受けとめることも出来ない。

 そのような中でヨハネは幻で、天に大きなしるし(奇跡)を見る。もう一つのしるしは火のような大きな竜である。ダニエル書7章には四頭の獣の幻が語られている。

 これは四人の王をあらわしている。新バビロン帝国、メディア王国、ペルシャ帝国、アレキサンドロス大王の王国。これらの王国、帝国が四頭の獣の正体に他ならない。

 ヨハネはこの獣こそがローマ帝国であり、ドミティアヌス帝であり、ローマの軍隊であることを示唆する。軍隊は暴力装置である。この暴力装置に打ち勝つ方が一人の女によって誕生した。それが5節にある「女は男の子を産んだ」。であり、この子は、鉄の杖ですべてを支配すると語る。別の訳では「そして彼女は男の子を産んだ。この者がすべての民族を<鉄の杖でもって>「牧するようになる。」と訳す。支配するのではなく、この世を牧する。やがてこの女が産んだ子によって、民族は牧される。その時はまだ来てはいない。

 迫害、弾圧は三年半続く。しかしその時(支配)はやがて終わる。とヨハネは力強い慰めの言葉を教会に向かって語る。

 エバの教会(わたしたちの)は、「地上に投げつけられた」竜の存在にジタバタして、もがいている。

 世界はまさに獣(力・軍事力)に脅え、この世を牧する方に目を向けることが出来ずにいる。竜の存在、サタンの力に屈服してはならない。