【示された別の道】
 降誕節第1主日 マタイ福音書2章1~12節

 2019年最後の礼拝を献げている。教会暦では「公現日」は来年の1月6日なので、来週この聖書箇所が読まれ、分かち合うのが自然なのかもしれないが、しかし毎年この時期に星に導かれてやって来た東方の「占星術師」の箇所が読まれる。

 マタイはここでヘロデ王及びエルサレムの住民たちも不安を抱いた。と記している。ルカはこの誕生の知らせが賤業と見なされた「羊飼い」たちに告げ知らされたと記す。

 占星術師は「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」とたずねる。ヘロデ王に対する質問は至極当然である。「王」は宮殿で誕生するからだ。しかし、その知らせはヘロデには届けられることはなかった。占星術師は、ヘロデの所を出発し、再び星に導かれて「救い主」が生まれた場所に到着する。そして彼らは黄金・乳香・没薬を贈り物として献げる。ある人はこれらの献げ物は彼らの商売道具であったと語っている。そして彼らは夢で「ヘロデの所へ帰るな」と告げられ、「別の道」を通って帰って行く。その道こそが福音の道である。すなわち、イエスが歩んだ道、聖書が語る道に他ならない。

 「キリスト新聞」クリスマス号には、来日したフランシスコ教皇とアフガンで銃弾に倒れ、天に召された医師の中村 哲さんの四人の追悼の言葉が掲載されていた。①西南学院中学・高校の校長中根広秋、②日本YMCA同盟神崎清一総主事、③日本キリスト教海外医療協会の畑野研太郞会長、④日本バプテスト同盟加藤信理事長が寄せた文がである。

 「ペシャワール会」は、号外として彼の「『テロとの戦い』と拳を振り上げ、『経済力さえつけば』と札束が舞う世界は、砂漠以上に危険で面妖(めんよう)なものに映ります。こうして温暖化も進み、世界がゴミの山になり、人の心も荒れていくのでしょう」 「とまれ、この仕事が新たな世界に通ずることを祈り、真っ白に砕け散るクナール川の、はつらつたる清流を胸に、来たる年も力を尽くしたいと思います」 「良いクリスマスとお正月をお迎えください。2019年12月ジャララバード(アフガニスタン)にて」これが彼の最後の言葉だ。
 先週の金曜日月曜会の忘年会が深川教会で行われた。忘年会といっても二時間は、講師を呼んで学習会が行われる。

 今回は聖書学者の大貫 隆さんの近著『終末論』について語って下さった。毎月一回の読書会で学んでいるので、先生を通してイエスが語った「神の国」についての学びは大いに刺激を受けた。

 福音書は全体を読まねばそこにあるメッセージはくみ取れない。マルコではイエスは受洗の時(マルコ1・11)「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」である。そして最期の時、すなわち十字架で絶命される時、百卒隊長が「本当に、この人は神の子だった」(マルコ15・39)で結んでいる。

 イエスがどのようなお方であったのか、それが「奇跡」(癒し)という文脈で語られる。イエスは同時代の革命家のような活動家ではなかった。彼の「神の国運動」はある意味地味であった。しかし、その彼の生き様は歴史として残され、やがて教会がそこから生まれた。

 わたしたちはそのイエスの示された道をそれぞれが歩んでいる。中村 哲さんのような働きもまたある意味地道である。しかし、その道を歩むことは御心に適うことであつた。わたしたちにとってそれはどのような道なのか、それぞれが示された道を歩むために、祈りを献げたい。