【この世に来られた】
 2019年クリスマス合同礼拝メッセージ  
    ヨハネ1章1~5節、・フィリピ信徒への手紙2章6~11節

 ローマカトリック教会の教皇は、使徒ペトロの継承者とされています。来日したフランシスコ教皇が語ったメッセージは、私たちに大きな感動をあたえ、彼は帰国しました。
 アフガニスタンで人道支援活動を36年にわたり行ってきたペシャワール会現地代表の中村 哲医師は何者かの銃弾に倒れ、天に召されました。
 旧ソ連の侵攻、アメリカ軍の空爆の中にあっても、医療支援だけではなく、干ばつに苦しむ人たちのために井戸を掘り、用水路を建設し、その結果、土地は綠を取り戻しました。彼は中学生の時に三位一体の神(創造・イエス・聖霊)さまを信じ、「洗礼」を受け、クリスチャンになりました。彼はイエスに従う者、倣う者として73年間の生涯を走り抜かれました。今の日本で祝われているクリスマスは彼の眼にはどのように写ったのでしょうか。
 今日は、フィリピ信徒への手紙2章6~11節、ヨハネによる福音書1章1~14節を分かち合います。パウロは獄中でこの手紙を書きました。そこには、「キリスト」とは、「神」とはどのようなお方なのかが記されています。
 一昨年の12月に刊行された「聖書協会共同訳」では、6節を「キリストは、神の形でありながら」と訳しています。
 イエスの誕生の経緯について、マタイはヨセフの戸惑いからはじめています。葛藤の末、彼はマリアを伴侶とする決心をします。
 占星術師たちは「黄金」「乳香」「没薬」を献げ、別の道を通って自分の故郷に帰ります。野宿していた羊飼いたちにも、その誕生は知らされます。想像できますか?イエスの誕生の光景をそして祝いに駆けつけた人々のことを、どん底の誕生とある人は言います。「イエスが高く引き上げられたのは十字架の時であった。」「飼い葉桶の傍らには十字架がある。」とわたしたちはこのお方こそが「救い主」であり、わたしたちを苦難からも解放して下さるお方であり、わたしたちの罪を赦して下さるお方であることを知っています。
 ヨハネはイエスを言葉(ロゴス)と表現します。このロゴスは「出来事」(ダバール)という言葉に関連づけられます。神の独り子イエスは、昔いまし、今いまし、そして永久にいますお方です。
 消費税が上がり、わたしたちの生活を逼迫させています。ますます「生きづらい」社会、個人が蔑ろにされる社会、格差が拡がり続けています。そのような「世界」「社会」の中に、今もそしてこれからもイエスはわたしたちの傍らにおられます。そのことを信じ、キリストにつながるものとして証しを立て、「別の道」を通る決断をした占星術師のように過酷な世界に帰っていったあの羊飼いたちのように、苛烈な運命を覚悟したマリアとヨセフのようにわたしたちもそれぞれが示された道を歩むことが出来ればと願っています。
 わたしたちのこの世界へ「救い主」イエスは来られました。光は暗闇を照らします。そのことの意味(メッセージ)を深く受けとめ、2019年をふりかえり、クリスマスを共に祝いましょう。