【義の太陽が昇る】
 アドベント第3主日メッセージ 
マラキ書3章19~24節・ヨハネ福音書1章19~28節 

 昨日、新園舎で黎明保育園の「クリスマス礼拝」が献げられた。ページェントを通して園児たちは、わたしたちに「世界で最初のクリスマス物語」を伝えてくれた。
 保育園では11月の最後の火曜日にアドベントがはじまり、先週の火曜日にアドベント第3を迎え、昨日四番目のローソクに光が灯され、礼拝が献げられた。

 糞尿の臭いがする「家畜小屋」で「救い主」イエス・キリストは誕生した。

 ルカ福音書はイエスの誕生前にバプテスマのヨハネの出生の経緯を丁寧に描いている。今日あたえられたヨハネ福音書でバプテスマのヨハネはイエスを証しする者として描かれる。ルカ福音書に立ち戻ればいかに彼の誕生が不思議な出来事の連続であったのか、が語られる。父ゼカリヤ、母エリサベトには子どもがいなかった。それは神に仕える者として大きな痛みであり、悲しみであった。

 父祖アブラハムとそのパートナーサラの間に誕生したイサクは神の不思議な導きで誕生する。老いたザカリヤとエリサベトの二人の間に誕生したのがバプテスマのヨハネである。福音書は異口同音にイエスの先駆者としてのヨハネを描いている。彼の特徴は荒れ野で呼ばわる声、「悔い改め」(新しい道)を迫る神の審判を語る人として描かれる。「悔い改め」とは今までの生き方を方向転換することに他ならない。
 12世紀に生きたアシシのフランシスコは富豪の家に生まれた。両親の庇護のもと何ひとつ不自由なく、すくすくと育った。彼は「パーティーの王さま」というあだ名で呼ばれ、酒と歌で青春を謳歌する。騎士に憧れた彼は出征し、痛手を負い帰郷する。やがて彼は神に仕えるためにすべての財産を捨て「無所有」に生きることの恵みを知り、修道院を創設する。

 自然をこよなく愛し、小鳥にも神の言葉を語ったと言われている。最初のエコロジストとして彼の思想は再び注目されている。

 アルゼンチンの大司教であったマリオ・ホセ・ベルゴリはペトロの後継者(天国の鍵を授けられた)として第266代教皇になり、フランシスコと名乗ることになる。

 アシシのフランシスコが「無所有」に徹したように彼もそれにならい「いのちの神学」(核兵器、死刑、原発、環境破壊、格差すなわち貧困とそれに伴う暴力に対して就任以来断固拒否の態度を世界に向けて発信している)を語る。

 EUからの離脱がイギリスでは現実味を帯びてきた。世界中が自国ファーストに徹しているようだ。

 マラキ書には厳しい審判の言葉が語られている。神に逆らうものへの審判である。わたしたちはこの言葉を真剣に受け止めなくてはならない。すなわち、神の御心がないがしろにされ、儀式が形骸化され、社会正義がねじ曲げられ、神に対する畏れがなくなることで、もたらされる世界がどのようなものなのかを知らねばならない。マラキ書3章20節「しかし、わが名を畏れ敬うあなたには義の太陽が昇る。」

 わたしたちはこの言葉をしっかりと心に刻み、アドベント第3主日の礼拝を献げたい。来週は4本目のローソクに灯りが灯される。そしてわたしたちは「救い主」イエス・キリストの誕生を共に祝う。この時、先駆者ヨハネの言葉「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。」(ヨハネ1章26節)と彼が語り、指さすお方をわたしたちは聖書を通して知らされた。その方の誕生を心から祝うための準備の時として今週一週間を過ごしたい。