【白い馬の騎手】
ヨハネ黙示録19章11~21節


 今日は「宗教改革日」にもっとも近い主日である。M・ルターは、死の恐怖を経験し、法学の道から召命を受けて神学への道に進み、聖職者となる。大学で聖書を教え、学ぶ中で、「信仰義認」、すなわち「人は信仰によって、義とされるのであって、行いによるものではない。」という聖書の真理を発見する。佐藤 優は、「教会という絶大な権力に抵抗し、異端として処刑され、殉教したフス(ボヘミア)やウイックリフ(イギリス)を無視することはできない。フスなどの殉教があったからこそ、M・ルターは「95箇条の神学的提言」を表した。(宗教改革の物語)『キリストに従う』を書いたD・ボンヘッファーは、安価な恵みではなく、高価な恵みを生きたM・ルターを生き生きと語る。

 聖書に生きると言うことは、高価な恵みを生きることに他ならない。わたしたちもこの高価な恵みに生きる者として、招かれていることを忘れてはならない。

 19章11節以下には、おどろおどろしい言葉が出てくる。しかし、これらの言葉の背後には連綿と語り継がれてきた旧約聖書のメッセージ、特に預言者たちの言葉があることを知らねばならない。11節は「わたしは天が開かれるのを見た。すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「誠実」および「真実」と呼ばれ、正義をもって裁き、戦われる。と記されている。白い馬、というイメージは権力の絶大さを表していることをわたしたちは様々な歴史のフォトグラフで知っている。そして馬は戦い、戦争を象徴する。さらにヨハネは白い馬に乗っている者について言及し、血に染まった衣を身にまとっており、その名は「神の言葉」と呼ばれた。と記している。

 わたしたちはこれらの一連のヨハネが語る白い馬に騎乗する者、言葉が誰であるのかを想像することが出来る。そしてヨハネ福音書1章以下の「ロゴス」という言葉に導かれる。ヨハネ福音書の著者ヨハネと黙示録のヨハネとは別人であるが、ヨハネはロゴスが誰を指すのかを知っていた。

 天の大軍もまた白い馬に乗っている。前後するが、「血に染まった」という言葉に注目したい。これはイエスの「十字架」を指している(救済・救贖)、と読むことも出来るが、イザヤ書63章1~6節との関連で読むと、そのメッセージが裁きのメッセージであることに気づく。

 白い馬に乗っているお方は「王の王、主の主」である。獣、偽預言者は戦いに敗れ、大バビロンは滅亡していくということが18節以下で語られ、獣(ローマ帝国)と偽預言者たちは生きたまま硫黄の燃えさかる炎に投げ込まれ、他の者たちは猛禽の餌食になると言う言葉で結ばれている。白い馬に乗って登場するお方はロバ、それも子ロバに乗ってエルサレムに入城した(マルコ福音書11章7~8節)。馬が戦いを表すのであれば、ロバは平和を象徴する。黙示録の著者は、迫害・弾圧下という限界状況の中で、サタンに勝利する存在を語る必要があった。そしてその象徴として「白い馬」に乗ってくるお方が誰であるのかを指し示した。

 イエスはサタンに勝利するお方、もろもろの悪の力に勝利するお方である。しかしイエスはロバに乗って「十字架」の道を歩むためにエルサレムに入城された。宗教改革記念日を覚えて献げている礼拝で、わたしたちは賛美歌377番を歌った。そして378番を賛美する。この歌詞に語られているメッセージを汲み取りたい。