【白い衣を着て】
ヨハネ黙示録3章1~6節

 自然災害は突如わたしたちを襲う。わたしたちは自然災害の前には無力である。台風21号、北海道胆振東部地震を通して、わたしたちは自然をコントロールすることは出来ないことを今回もまざまざと知らされた。

 東京教区でも地震、暴風雨、水害対策の必要が叫ばれているが、手をこまねいているのが現状である。ハザードマップを各教会で真剣に作ることの必要性を4日、6日の自然災害を通して痛切に実感した。

 この教会はペルガモンの東方90㎞の内陸の町にある。サルディスは、かつてはルディアの富裕な君主クロエソスのもとで首都であったが、紀元1世紀には、かつての繁栄は昔のものとなっていた。

 ヨハネのこの教会に対する評価は極めて厳しい。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。」「目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。」それがアジアにある七つの教会の5番目にあたるサルディスの教会である。

 ペトロはイエスのためにどんなことがあっても従います。と大見得を切る。しかしそんなペトロに対して「あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らない」とイエスは言われる。その前にこのような言葉をペトロに言われている。「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたが立ち直ったら、兄弟を力づけてやりなさい。」(ルカ21章32節)、わたしたちは「死んだ信仰」であってはならない、と考える。

 しかし、現実には祈れないときがある。神さまに委ねきれない自分がいる。そのようなとき、わたしたちの傍らに主はおられる。この主によってわたしたちは生かされている。サルディスの教会の多くの人たちは迫害・弾圧の中で「希望」を見いだすことすら出来なかったのかもしれない。それをヨハネは「死んでいる」(3章1節)と語る。しかし大切なことはそのような自分に気づく、そしてもう一度神さまの恵みに立ち返るとき新しい道が開かれるということだ。

 パウロは「来臨」の主にいつでもお会いできる備えをしなさいと、彼が最初に書いたテサロニケの信徒への手紙で語る。主の「来臨」は近い、間近に迫っているという信仰がこの時代の教会にはあった。(1テサロニケ5章)そしてヨハネ黙示録の教会もそのような教会である。目を覚ましていなさい、目を覚ましているならば「白い衣」をわたしたちは身につける用意が出来る。常に備えを怠らず、いつでも主の来臨を信じ、生活を整えることである。生・活とは生きることであり、与えられた営みを誠実に歩むことである。とするならば、サルディスの教会にはそのような人は少数しかいなかった。ヨハネはその群れを「白い衣」を着ている人であるといっている。死んだようなわたしたちを主はお見捨てにはなられない。そしてわたしたちに問う。

 「あなたは目を覚ましているか、白い衣を着ているのか、主の前に生きているのか、すなわち、『待ちつつ、急ぎつつ』生きているのか」、これらことをわたしたちはサルディスの教会に宛てられた回覧を通して知らねばならない。主の恵みが先行することを心に留め、常に目を覚まし、白い衣を着て歩む者として、それぞれが与えられた場で、キリストを証しする者として、今の時代「中間時」の中で生きるものでありたい。