【栄光を主に帰せよ】
詩編29編
   賛美合同礼拝メッセージ 

 西日本を襲った集中豪雨で多くの人が苦しんでいます。自然の前では人間がいかに小さいものであるのかを思い知らされます。こどもさんびかの113番の“こすずめも くじらも”のうたには、神さまがこの世をつくられたこと、そして神さまがすべての自然を支配していることがうたわれています。

 わたしたちは神さまの恵みにいかされたものとして、大地震やあらし、いなびかりなどの自然現象に恐怖を感じたとき、神さまに助けを求めることができます。神さまを信じていようと、いまいと災害はわたしたちに襲いかかることがあります。そんなとき、神さまを信じているわたしたちは、すべてを神さまにゆだねることで、平安が与えられます。

 今日は賛美礼拝として礼拝を献げています。今共にきいているみ言葉は詩編29編です。この詩編は最も古い賛美の詩編です。ここに出てくる「栄光」という言葉は重いという言葉から来ています。ある人はこのように説明しています。

 「ヤハウェ(かみさまの名)の栄光とは、いろいろな仕方で、しかも目に見える形で示された威力、声望、栄誉のことだと言えます。カナンの宗教の場合、神々の栄光は自然の事物と密接につながっており、天と地の精霊のおそれに満ちた顕現を表します。しかし、旧約聖書になると、ヤハウェの栄光は特に業を示されるようになります。その栄光は全被造物を満たしており、神を賛美し、その力に栄誉を認めることが人間と神の子たち(天の霊的な存在)の務めとされます。」

 イエス様が誕生されたとき、天使たちは声高らかに歌いました「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ2・14)そしてイエス様は最初の奇跡をカナの婚礼の時に起こされました。ヨハネはそれをしるしとして記しています。また瀕死の状態にあるラザロの姉妹であるマリアとマルタに向かって「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるためである」(ヨハネ11・4)といわれました。

 わたしたちは無力です。わたしたちの力では何をすることもできません。だからこそ、すべてをつくられ、支配されるお方に助けを求めるのです。そのことが神さまに栄光を帰することになるのです。