【主に導かれた神の家族たち】
出エジプト記13章17~22節、エフェソ2章14~22節

 多目的ホールには、この教会をつくった賀川豊彦の肖像画と直筆の聖書の言葉と絵があります。ある時、園児が賀川豊彦の自画像を見て「先生このメガネのおじちゃんは誰」と質問しことを保育園の先生が月報「黎明」に書かれていたことを思い出します。

 賀川豊彦召天後、彼の意志を引き継いだのが、お連れ合いの賀川ハルさんです。賀川と共に神さまのご用を懸命にしたハルさんは彼と共にスラムに住み、悪性のトラホームに罹り、右目が失明に近い状態の中にあっても、彼と共に懸命にセツルメント活動を続けました。そして長年の働きが評価され、1982(昭和57)年3月に94歳で名誉都民賞を受賞します。 

 三原容子さんが編集した『賀川ハル史料集』の中には日記や折々に書いた文章で綴られています。日記で堀切教会のことを見つけることは出来ませんでしたが、名誉都民小伝には彼女の働きが見事に語られています。この教会堂が誕生した時の「雲柱社」の理事長は賀川ハルさんでした。ハルさんは、1960(昭和35)年に72歳で財団法人イエス団・雲柱社、社会福祉法人イエス団、同雲柱社の理事に就任し、その後94歳までその任を担われました。マルチの才能を持っていた賀川豊彦ですが、ハルさんなしでは彼の働きは成し得なかったといっても過言ではありません。

 この教会堂での最後の礼拝の時、出エジプト記13章17~22節、エフェソ信徒への手紙2章14~22節のみ言葉を分かち合いたいと考えています。エジプトで虐げられていたヘブライ人たちは神さまの導きによって、モーセを通して、エジプトを脱出することになりました。紆余曲折を経て、40年間荒野の旅を続け、モーセの遺志を受け継いだヨシュアによって、神さまが約束されたカナンの地に入ることが適いました。

 神さまはどんなときでも「大丈夫! だよ」ということを数々の奇跡を通して示されます。その出エジプトを脱出する直後のことが今日の箇所です。21節「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」(出エジプト記13章21~22節)と記されています。神さまはその働きが神さまのみ心に適うならば、その道を導かれる。この体験を賀川豊彦と賀川ハルさんは経験しました。そして雲柱社もその導きの中で、今日があるといえます。

 堀切教会と「社会福祉法人雲柱社」黎明保育園も神さまの導きの中で69年を共に歩んで来ました。その歴史をわたしたちは忘れてはなりません。この教会堂はなくなりますが、荒れ野を導かれた神さまはわたしたちをも導かれます。使徒パウロはエフェソ信徒への手紙の中で、神さまと繋がる人たちを「神の家族」といっています。神の家族は、どんなときでも大丈夫!といわれた神さまの導きを信じる群れです。神さまは神さまの御心に適うことであれば、必ずその願い(ビジョン)を適えてくださいます。

 「わたしには夢がある」といったM・キング牧師は「公民権運動」のためにいのちを賭して闘いました。彼らを支えたのが、この出エジプト記でした。必ず、主の御心であればわたしたちの祈りは聞き入れられます。わたしたちはそのことを信じ、新しい一歩を歩み出していきましょう。

 そして3年後、また黎明保育園と共にキリストにあって、「地域に仕える教会・保育園」として賀川ミッションをこの地域に根付かせていきましょう。