【こんなことがあるの?】
使徒言行録2・1~12節
                   ペンテコステ合同礼拝メッセージ


 神さまは、人間が「天にまで届く塔のある町を建てて、有名になろう。そして全地に散らされることのないように」と考えたとき、同じ言葉で話していた人たちの言葉を混乱させ、全地に散らされます。それが有名な「バベルの塔」(創世記11・1~9)の物語です。その後、世界中に散らされた人々はちがう言葉を話すようになります。言葉は神さまがわたしたちに与えて下さったコミュニケーション手段です。わたしたちは言葉を使い、また手など(非言語)を使いながら、相手との関係をつくります。相手を理解するためには、言葉は大切な要素です。

 イエス様同様にお弟子さんたちもアラム語で会話していたといわれています。復活されたイエス様は40日間お弟子さんたちに「神さまの国」について教えられていました。不思議な風がびゅうっとふいてきて、炎のような舌がわかれわかれに現れ、一人一人の上に留まりました。すると今まで話したことのない言葉を話せるようになっていました。その日はペンテコステ(五旬祭)でした。それはユダヤ教の三大祭りの一つである「収穫祭」です。(レビ記23・15~16)「過越祭」から数えて満七週目、五十日目のことでした。そして教会が誕生しました。

 国連に加盟している国は190ヶ国、そして6900の言語があり、肌の色も、住んでいるところも違っています。そして教会は世界中にあります。教会が神さまを信じて歩むならば神さまはわたしたちを祝福して下さいます。祝福された人たちは、自分のことしか考えないようであってはなりません。困っている人、悲しんでいる人、いじめられている人、抑圧され、差別されている人たちを見ると、ほっておけなくなります。イエス様に「どんなことがあってもいっしょにいます。」と約束したのに、「知らない」と言ったのが、ペトロさんです。そのようなペトロさんが、聖霊を受けて生まれ変わりました。あるとき、生まれながら、足の不自由な人が「美しい門」といわれた場所で、施しを受けるために運ばれてきました。その時、ペトロさんがいいました。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって歩きなさい。」(使徒言行録3・6)すると、男の人は「躍り上がって立ち、歩き出した。」と書かれています。

 ペトロさんはイエス様の教えを実行する人となりました。教会は聖書を通してイエス様の福音を人々に伝える役割があります。世界には数え切れないほどの教会があります。漢字で書くと、きょうかいは「教える」・「会」と書きますが、聖書を読むと、きょうかいは「教える」「会」だけではないことが分かります。もともとは集会という意味です。その場所はみんなが神さまにお祈りをする場所です。イエス様はお祈りをする人たちにどんな時でも大丈夫だよ。という言葉でわたしたちに生きる力を与えて下さいます。生きる力を与えられた時、わたしたちは神さまのこどもとして歩むことが出来ます。

 今、世界は自分の国だけがいちばんであれば良い。と考える人たちがいます。その人たちは温暖化によって、海面温度が1℃上がってもお構いなしです。困っている人たちがいても、努力が足りないからだと一蹴します。そんな世界を一番悲しんでいるのは神さまです。教会は神さまの言葉(福音)を人々に伝え、神さまの御心を人々に示し、平和を祈る場所です。