【この人には何の罪も見出せない】
ルカによる福音書23章1~6節


 このところマスコミは「加計森友」、「南スーダン」「イラク」の自衛隊「日報問題」を取り上げている。国会で野党が質問した時、当時の大臣が「無い」と抗弁した文書である。「森友」「加計」に対する官僚の政府に対する忖度はあったのか、なかったのかはいまだ霧の中である。今回矢継ぎ早になかったとされた文書で、官僚がどこに向いて仕事をしているのかをマスコミは明らかにした。

 サンヘドリンでの不当な宗教裁判で「有罪」となったイエスはピラトのもとに連れて来られる。彼らは「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また自分は王でメシアだといっている。」とでっち上げ、「極刑」を望む。ピラトはイエスを有罪にはしてはいない。彼は「わたしはこの男に何の罪も見出せない。」(ルカ23・4)と言っているからだ。実際のピラトはいかなる人物なのだろうか。ルカは13章でその残忍さを語る。その事件は「ガリラヤ人の血」(ルカ13・1)として語られている。

 歴史家は異口同音に残忍、冷酷で猜疑心の強い人物として彼を描いている。彼はローマ総督から任命された代官の様な役割を担っていた。ここでピラトはイエスにはそのような「事由」(田川訳)すなわち、「告訴理由」(本田訳)は見出せないと語っている。ここでの「罪」と訳されている言葉は、一般の聖書で語られている「罪」という言葉ではない。彼らはイエスをローマ法で極刑にしてほしいと望む。すなわち「十字架刑」である。宗教的指導者はイエスを政治犯として裁いてほしいと望む。ここでピラトはイエスに判決をくだす事を躊躇している様に見える。

 彼らが有罪という主張が、その後何をもたらしたのか、知らなくてはならない。すなわち、「ユダヤ人がイエスを殺した。だから何をされてもユダヤ人は仕方がない。」という理由となってしまった。紀元70年以後、ローマの国家暴力(軍)によって第二神殿が破壊され、世界中に離散したユダヤ人に向けられ、「反ユダヤ主義」として、やがてホロコースト、へと繋がっていく。

 ピラトが「裁くつもりはない」と言った背後に何があるのか、明らかなことはイエスを裁判にかけることはやっかいな事だと彼は考え、その責任をヘロデ(ルカ23・8)に託する事で回避しようとしたということだ。

  ピラトはいかなる人物なのか、そのことがイメージ出来なければこの冤罪裁判がどのような裁判であったのかを知ることができない。イエスは「十字架」に架けられた。そしてその責任はイエスを訴追したユダヤ人に負わされた。しかしピラトのもとに引き出したユダヤ人たちだけにその責任はあるとしてこの箇所を読んではならない。

 先週、わたしたちはイースターを迎えた。イースターは喜びの日である。しかし「復活」の意味を知るためには、イエスが「十字架」に架けられていくプロセスを忘れる事はできない。なぜ、政治犯としてイエスは十字架に架けられたのか、民衆はイエスを政治的メシアとして捉えた。しかしイエスはイザヤ書53章7節(「苦難の僕」)にあるように、「口を開かなかった(開けなかった)」である。そのことをもう一度考えてみたい。それと同時にピラトとは、誰かということを考えることにしよう。わたしたちはこの人物の中に誰を見いだすのであろうか。