【ねじ曲げられた正義】 part1
ルカによる福音書23章6~12節


 権力者には独特の嗅覚がある。ヘロデ大王(マタイ2・1~18)は計算高く、ローマでは軍事・政治家としてもすぐれたリーダーと見なされていた。彼はなりふり構わず、力ある者にすりより賄賂を送り、権力を維持した。大王死後、息子たち(アルケラオ、アンティパス、フィリポ)はそれぞれの領地を相続した。ここに登場するヘロデはアンティパスで、彼はガリラヤ湖の東及び北に拡がる領地を相続した。アンティパスは義理の妹であり、従姉妹(いとこ)であり、前夫によるサロメの母へロディアを誘惑し、結婚した。バプテスマのヨハネは彼を厳しく糾弾したその結果、バプテスマのヨハネは捕らえられ、慚死する。(マルコ6・17~29、マタイ14・1~12、ルカ9・7~9)

 このヘロデの所にイエスは連れてこられる。ピラトはイエスには民の長老、大祭司、律法学者たちが訴えているような「事由」「告訴理由」を見出せず、アンティパスに下駄をあずける。彼は「過越の祭り」のためにエルサレムに来ていた。イエスはアンティパスの所に連れてこられる。彼はイエスに会ったことを非常によろこんだとルカだけが記している。彼はイエスにいろいろと尋問をする。奇跡を行ってきたイエスの噂を聞いていたヘロデは興味を抱いての尋問であった。しかしイエスは沈黙したままである。激しく訴える祭司長、律法学者に負けて訴追理由の無いまま、彼の兵士たちといっしょになって、あざけり、ふざけて、けばけばしい衣服を着せ、ピラトの元に送り返す。ピラト同様に彼もまた有罪判決を下すことは出来ず、再びピラトのもとに送り返す。ヘロデもピラトもイエスに祭司長、律法学者たちが訴えるような犯罪を見いだしてはいない。しかし、彼らの反対を押し切ってイエスを無罪にすることも出来なかった。

 裁判は公平、中立であるべきで、告訴理由がない者に対して、有罪判決を下してはならない。しかしヘロデもピラトもそのような態度を取ることはしてはいない。イエスはイザヤ書53章7節にあるように「口を開かなかった」「口を開けなかった」イエスは抵抗すること無く、十字架への道を歩まれる。パウロはその意味をフィリピ信徒への手紙2章6節以下で語る。苦しむ者と共に歩むためにイエスはあえて無力なまま十字架に架けられる。

 今日わたしは「ねじ曲げられた正義」という宣教題をつけた。祭司長、律法学者たちが訴えるような「事由」告訴理由を見いだすことが出来なかったにもかかわらず、彼らは冤罪が明らかなイエスに対して「有罪判決を下すことは出来なかった。イエスはユダの接吻の合図で捕らえられる。そして大祭司カイアファ(マタイ26・57)の所に連れてこられ、ピラトからヘロデへそして再びピラトの所へ。この「キリスト殺し」の責任は誰にあるのか、反ユダヤ主義者は「血の責任」はユダヤ人にあるという。

 教会はイエスの十字架の死を贖罪として受け止め、語り継いできた。ヘブライ人への手紙では「永遠の大祭司キリスト」(5・1~10)が語られている。無力なイエスだからこそ、苦しむ者と共におられる。イエスの十字架は必然であったと福音書記者たちは語る。