【ここにはおられない】
<イースターメッセージ>
マルコによる福音書16章1~8節・ヨハネ福音書20章1~18節

 イエス様はどこにおられると思いますか? イエスさまはいわれました『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』(マタイ25章40節)

 イエス様のご遺体に香油(アロマ)を塗るために葬られているお墓にマグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメさんたちがやって来ました。お墓は大きな石で封印されていたはずでしたが、すでに大きな石が動かされていました。そしてお墓に入ってみると。白い長い衣を着た若者が右手に座っています。若者はいいました。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活され、ここにはおられない。」といいました。「さあ、行って、弟子たちに告げなさい。『あの方は、あなたがたよりも先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と、びっくり仰天したマリアさんたちはどのようにこの言葉をお弟子さんたちに伝えたのでしょう。

 イエス様は先にガリラヤにいっておられます。イエス様は、困っている人たちの側におられるのです。食べるものがなくて、食べ物をもらう側にイエス様はおられます。これは常識では到底理解出来ません。

 復活は「起き上がる」という言葉からきています。イエス様の復活を信じるとは、十字架で死なれたイエス様がわたしたちの罪を赦して下さり、今も苦しむ人々と共にイエス様がおられ、どんなことがあっても「大丈夫だよ!」と言われたイエス様を信じることです。

 神さまはわたしたちにも「大丈夫だよ!」「心配はいらないよ!」と声をかけて下さいます。死んだ人が甦った。復活した。ということは理性(頭)では理解出来ません。でも、イエス様が復活してお弟子さんたちの所に現れなければ、教会は誕生しませんでした。

 イエス様は約束されたとおりに復活されたからこそ、教会が生まれ、私たちは今、この礼拝に招かれているのです。

 今、朗読「寸劇」でイエス様の復活の「出来事」を知りました。讃美歌21の333番「主の復活 ハレルヤ」は、タンザニアの讃美歌です。タンザニアでは、いろいろな所でこの讃美歌が歌われています。

 今ではタンザニアの教会では、親しみのある歌として、結婚式などでも歌われています。タンザニアの人々は踊りながら、全身でこの歌を歌います。その曲に歌詞をつけたのが、キアマニアと言うタンザニアの牧師さんです。孤児として育ち、その中でイエス様を知り、神さまを讃美する人になりました。キアマニアさんは、イエス様の復活を信じることで、イエスさまがどんな時でも「大丈夫だよ!」といって下さるイエス様のことを聖書を読んで知りました。

 イエス様はどこにおられるのでしょうか。ガリラヤです。そこにイエス様はおられます。私たちにとって、ガリラヤとはどこなのでしょうか。