【あなたはメシアなのか?】
降誕節第7主日礼拝  ルカによる福音書22章63~71節


 「大逆罪」で幸徳秋水以下、26名が起訴、2名を除いて12名が不当な裁判で「死刑」に処せられました。その中には仏教の僧侶、クリスチャンの医師石川誠之助がいました。彼は、貧しい人たちからは治療代を取らなかったと言われています。

 裁判は公平公正なものであるべきです。「疑わしきは被告人の利益」「疑わしきは罰せず」の「裁判」が求められますが、今なお「冤罪」はあとをたちません。この教会が支援している石川一雄さんも未だに「見えない手錠」につながれたままの状態です。

 ルカは、イエスはユダの接吻の合図で、逮捕され、ユダヤ人の最高議会であるサンへドリンでの裁判がいかに不当な裁判であったのかを端的に記しています。

 サンへドリンのメンバーは70人で、サドカイ派、ファリサイ派、律法学者、そして大祭司が議長を務め、ありとあらゆる裁判を行いました。当時のサンヘドリンの様子がこのように記されています。一般の裁判の様子です。2名の書記がいて、証人から聴取し、有罪、無罪の証言を記録し、メンバーは有罪か無罪かの判決を下します。そして有罪の場合は出席者の三分の二の多数が要求されます。その意味では「疑わしきは被告人の利益」が前提で、裁判が行われたと言われています。例えば出席者の最低数、12人が釈放に賛成し、11人が反対の場合は、囚人は釈放されました。

 「大逆事件」の裁判が結果ありきの裁判であったように、イエスの裁判も結果ありきの極めて不当、不自然な裁判であったのです。彼らはたずねます。「お前はメシアなら、そうだと言うがよい」イエスは言われます。「わたしがそう言っても、あなたがたは信じないだろう」「わたしが尋ねても、決して答えないであろう。しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る」すると、今度は「では、お前は神の子なのか」「わたしがそうだとあなたがたが言っている。」このイエスの答えが決定打となり、「これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ。」ルカでは証人の証言もないまま、イエスはピラトのもとに引き渡され、そこで再び裁判を受けるのです。あなたはメシアなのか?この問いは9章20節「神からのメシア」と答えたペトロと対をなしています。弟子たちは、イエスは洗礼者ヨハネでも、預言者エリアでも、昔の預言者が生き残ったのでもない。と言い、イエスをメシアと告白します。しかし、この裁判の場にいて、イエスが「無罪」であると弁護する人は誰一人いません。

 今週の14日(水)「灰の水曜日」からレントに入ります。3月31日まで、わたしたちは「あなたはメシア」(油注がれた者)王・祭司・預言者 として、イエスの十字架の道を黙想するのです。

 なぜ、イエスは十字架に架からなければならなかったのか、聖書を通して反芻するのです。その期間がレント「四旬節」です。わたしたちの先人は、苦難、迫害、弾圧の時、イエスの十字架の道を心にとめ、黙想し、信仰によって導きを祈りました。わたしたちの時代、迫害、弾圧は死語となりつつあります。けれども、イエスをメシアと告白することは、聖書に示された神の正義と公平の道を生きることを意味するとすれば、それほど容易い道ではないと言うことです。イエスは、サンヘドリンで「不当な裁判」で、ありもしない罪名で、有罪判決を受けたのです。