【わたしは見た】
ヨハネ黙示録7 章1~8節

 『東京新聞』11月13日「特報」で安倍政権「徴用工」→「労働者」歴史を曲げる呼称言い換えという記事が掲載された。「徴用工」を政府として今後『朝鮮半島出身の労働者』問題として捉えていくことが明らかにされた。現在、日本に住む「在日」朝鮮・韓国の人たちは、①自ら進んで一旗揚げようしてきた人、②騙されて来た人、文字通り有無も言わせずに暴力で強制連行されて来た人たちである。わたしたちは皆がこの国を望んで来たわけではない、という事実を知らねばならない。労働者不足から外国人を受け入れるための法案が「出入国管理法入管法改正案」として政府、与党から出されている。現在の技能実習生の実体は惨憺たるものである。ドイツのメルケル首相の「人々の連帯と開かれた社会とは矛盾しない」というスピーチを読んだ。東ドイツの牧師の子として生まれた彼女の「難民を受け入れる。それは難民のいのちを守ること、難民の生活を全面的に援助することである。」という発言は彼女の「信仰告白」でもある。

 「四人の天使が四隅に立ち、吹く風を押さえていた。」「我
々が神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損ねてはならない。」といい、「封印」を開くのは14万4千人である。そしてその数の内訳が12部族のリストで明らかにされる。創世記(35章)に出てくる順番とヨハネ黙示録の順番は違っている。このリストを読むとき、イスラエルの歴史を思い起こす。ソロモンの死後、国は南北に分かれる。北イスラエル王国はアッシリアに侵略され、独立性を失う。やがて南ユダ王国もバビロニアに侵略され、捕囚を体験し、その後ペルシャ王・クロスによって解放令が出され、祖国に帰還する。半独立ユダヤ国家を形成する。そしてローマに植民地とされる。必ずしも12人のリストはイスラエルを指してはいないという。

 ヨハネ黙示録の時代は抑圧と迫害・弾圧の中にあった。当時のローマ皇帝ドミティアヌスは徹底的にキリスト者を迫害した。そのような中で、自然現象、異常気象を描写することで、終末のイメージを語っている。しかも、紀元70年の戦争で神殿は破壊され、彼ら・彼女らはディアスポラ(離散民)となった。そして世界に散らされる。それ以後、偏見と差別・抑圧の中で苦しむ(第二次世界大戦まで)ことになる。ヨハネはここで「終末」を語り、選ばれた人のリストを明らかにしている。「刻印」を押されたのは14万4千人。この数字を小さいと見なすのか、どうかが議論されている。決して小さい数ではない。そしてこの刻印という言葉で、出エジプト記12章の最後の十の災い「過越の出来事」を思い起こす。14万4千人という数字は今の人口からすれば数にも入らない。ヨハネは、「刻印」された人たちは自然災害からの難を逃れるといい、弾圧・迫害の中で教会(集う人たち)はこのメッセージに支えられ、励まされた。

 わたしたちはこのヨハネ黙示録を当時の時代背景を無視しては読めない。今日の宣教題を「わたしは見た」とした。恵みによって選ばれた民がいる。そしてイエス・キリストを「主」と告白したわたしたちがいる。わたしたちは、終末のとき「刻印」を押してもらうことが出来るのか、宗教の世界は観念ではない。このことを彼らは経験(体験)した。福音は生きている。そしてわたしたちも主の来臨を信じ、この示された道を歩む者でありたい。