【わたしたちの世界へ】
 2018年クリスマス合同礼拝メッセージ  
フィリピ信徒への手紙2章6~11節
ヨハネ福音書1章1~5、9~18節

 今年の漢字一字は「災い」を意味する「災」でした。この教会は6月第2主日から江東伝道所に拠点を移し、新たな歩みがはじまりました。

 内外共に暗いNEWSの中で、教会は神さまの導きで祝福された1年を締め括ろうとしています。今日与えられたみ言葉は、フィリピ信徒への手紙2章6~11節、ヨハネによる福音書1章1~14節です。パウロはこの当時の教会で詠われていたこの<キリスト賛歌>を引用して、「キリスト」とは、「神」とはどのようなお方なのか、を獄中から発信します。この<キリスト賛歌>にはクリスマスの物語が要約されています。イエス・キリストはどのようなお方であったのかを書いています。

 31年ぶりに聖書が新共同訳聖書から「聖書協会共同訳」として翻訳されました。6節を今回の翻訳では「キリストは、神の形でありながら」と訳されています。他の聖書でその箇所を読むと、「かたち」「身」などと訳されていました。

 イエスの誕生のいきさつについて、マタイはヨセフの戸惑いからはじめています。葛藤の末、マリアは母となる決心をします。東方から来た占星術師たちは自分たちの商売道具であった「黄金」「乳香」「没薬」を献げ、別の道を通って自分の故郷に帰ります。野宿していた羊飼いたちにも告げ知らせられます。

 想像できますか、イエスの誕生の光景を、そして祝いに駆けつけた人々のことを。どん底の誕生とある人は言います。「イエスが高く引き上げられたのは、十字架の時であった。飼い葉桶の傍らには十字架がある。とわたしたちはこのお方こそが「救い主」であり、わたしたちをどのような苦難からも解放して下さるお方であり、わたしたちの罪を赦して下さるお方であると。

 ヨハネはイエスを言葉(ロゴス)と表現します。このロゴスは「出来事」(ダバール)という言葉に関連づけられます。イエスは神と共にありました。昔いまし、今いまし、そして永久にいますお方です。

 国内外とも様々な不安がわたしたちを覆っています。今後どうなるのか、誰にも分かりません。政治家が、為政者が景気は回復したと言っても実感はありません。

 「格差」は拡がり続けています。そのような「世界」の中に今もそしてこれからもイエスはわたしたちの傍らにおられます。そのことを信じ、共に新しい仲間が加えられたことを主に感謝し、キリストにつながる者としての証しを立て、それぞれが「別の道」を通る決断をした占星術師のように過酷な世界に帰っていたあの羊飼いたちのように、苛烈な運命を覚悟したマリアとヨセフのようにわたしたちもそれぞれが示された道を歩むことが出来ればと、願っています。

 わたしたちのこの世界へ「救い主」イエスは来られました。そのことの意味を深く受けとめ、クリスマスを共に祝いましょう。