【頭を上げよ】
ルカによる福音書21章25~28節

 関東大震災から94年が過ぎた。当時の様子を語れる人たちは年々少なくなってきている。10万人以上の犠牲者は火災によって犠牲になった。9月1日大規模な防災訓練が様々なところで行われた。

 昨日、教会に思いもよらぬ来客者があった。かつしか人権ネットで顧問的な役割をされている田中 宏先生から「追悼集会の後、中国人犠牲者の家族が教会を訪問するのでよろしく。」という趣旨のショートメッセージがわたしのスマホに入った。どのようなことで来られるのかは不明のまま当日になった。数名の方だと考えていたが、マイクロバスから20名近い人が降りてこられた。状況が掴めず唖然とした。とにかく挨拶をして教会の礼拝堂に入って戴いた。賀川豊彦とこの教会との関わりなどを通訳を通して話し、わたしが知る限り関東大震災で犠牲となられた「在日」朝鮮人・中国人の犠牲者を覚えて祈りを献げた。

 中国福建省温州の遺族で曾孫が牧師をしていて、日本の教会を訪問し、自分の曾祖父を含めてお祈りをしてほしい。遺族の中には賀川豊彦と生前繋がりを持っている人がいる。「死線を越えて」と手紙が遺品として残っていたことを知らされた。どのような繋がりがあったのかは不明とのことであった。

 わたしと中国人の牧師が祈り、通訳がそれぞれの祈りを訳してくれた。約1時間いっしょに過ごせたことを神さまに感謝した。

 あの日、在日朝鮮人五千人以上、中国人五百人以上が「流言飛語」によって犠牲になった。わたしの知る限り「防災の日」の報道で、日本人犠牲者、今後の対応、対策については大きく取り上げられていたが、朝鮮人、中国人の犠牲者のことに関してはあまり多くは取り上げられてはいなかったようだ。

 今日の箇所も先週に引き続き「小黙示録」とされている。マルコを下敷きにして、ルカもマタイもそれぞれの筆で書いている。マルコ13・24~27が宇宙の天変地異を叙述するのに対して、ルカ版はそれをごく簡単に済ませ、この事件の地上への影響を細かく描写する。この終末の全地上性は、諸国の民、人々、全世界という三つの語で表する。人の子の到来は可視的で、裁きと共に救いでもある。

 ルカとマルコでは異なって記述されている。共通しているのは、人の子の到来27節=マルコ13・26、天体の動揺26節後半=マルコ13・25である。その理由は地上の全人類への裁きを強く表す主の日の描写にある。ここでも裁きの「申命記伝承」が影響している可能性がある。ユダヤ民族だけではなく、キリストの使信によって改心しない人々すべてに対しての裁きが語られる。またここには、旧約聖書が意識されている。海のどよめき ヨブ記38・8~11、天地の動揺 イザヤ書13・6~13。福音書記者たちは、ギリシャ語(70人訳)で旧約(ヘブル語聖書)を読んだ。

 イザヤ書13・11、このようには記されてる。「わたしは人の住む世界すべてに/災禍に見舞われるよう命じ/不敬虔なる者たちの罪ゆえに(罰する)。/わたしは教え、足蹴にする者たちの思い上がりを撲滅し/驕り高ぶった者たちの思い上がりを低くする。」 (秦 剛平訳)

 人の子の到来の描写はマルコ13・26 ダニエル書7・13に由来する。それはルカ22章の「人の子」とは異なる。頭をあげるのは希望の徴である。人の子はどん底に立つとき、あらわれて下さる。わたしたちは「終末」を意識して「待ちつつ急ぎつつ」今を生きる。どんなに状況が悪化しても主の導きを信じ、.すべてを主に委ねていきたい。