【都を離れよ】
ルカによる福音書21章20~24節

 トランプ米国大統領は「アメリカファースト」を掲げ、小池都知事は「都民ファースト」を掲げ、いずれも当選した。小池都知事が関東大震災で犠牲になった朝鮮人を悼む集会で、追悼文を載せないことが大きく報道された。26日の「天声人語」には朝鮮人がリンチされた様子がある銀行員の目撃談として書かれていた。北朝鮮が暴走すれば、同じような反応をするのではないか。そのようにわたしは考えてしまう。

 「空気」を読む政治家たちは、都民ファーストの人気にあやかりたいと願い、今まで属していた政党を離党している。しかし、分断されているアメリカでは「白人優越主義」ではないか、と抗議の声を上げているが、そのような機運は今の日本では感じられない。

 今日の箇所では神殿がローマ軍によって破壊されることが記される。マルコには「忌むべき破壊者が立ってはならないところに立つのを見た」と記され、マタイでは「預言者ダニエルが言った忌むべき者が」と記されている。神殿を暴力(放火)によって破壊する。神殿に偶像を建て彼らの信仰をズタズタにする。この記述は2つの「歴史」が背後にあると考えられている(ダニエル9・27、11・31、12・1)。

 同じマルコを下敷きにしているマタイはこのダニエル書の「出来事」を踏まえてこのことを書いている。又続編(第二正典)にはマカバイ記1章54節「王は焼き尽くす献げ物の祭壇上に『荒廃をもたらす憎むべきもの』を築き、また周囲のユダの町々に異教の祭壇を築いた。」このことは具体的には焼き尽くす献げ物の祭壇上にゼウスをまつる祭壇を築いたことを指している。偶像に膝をかがめて拝む。これほどの屈辱はない。もう一つはローマ皇帝カリグラ(BC34~41年在位)のことが背後にはある。その結果、アレクサンドリアやエルサレムでユダヤ人の反発をかった。このようなことを考えると、ルカ福音書は70年以前の「出来事」を踏まえているとも考えられているが、大方の研究者は70年のローマ軍による「神殿破壊」を経て、90年に書かれたと考えられている。

 戦争には難民が必然的に生まれる。5,000人の供食(ルカ9・10~17)、4,000人の供食(マルコ15・32~39)の背景にはこのユダヤ戦争があり、難民が生まれたことがあると言われる。

 今日私は「都を離れよ」と言う題をつけた。都を離れてどこへ行くのか、「山」に逃げなさいと記されている。これはトランスヨルダンに位置していたベラに逃げなさい。ということであるが、聖書では山はイエスが弟子たちに説教したところであり、イエスが山上の変貌(マルコ9・2、ルカ9・23~36)したところであり、モーセがヤハゥエの声を聞いたところである(出エジプト記3章)。

 山、そこに神がおられる。そしてこの山は後に教会として捉えられる。都を離れよ。といわれたイエスが「山に逃げなさい」と言うことは教会にという事でもある。

 困窮している者、喘いでいる者、苦しんでいる者たちに対して「山」が教会を表すとすれば、教会は疲れた人たちの居場所のはずだ。わたしたちはマタイ11章28節のみことばに導かれる。アイデンティティが危機に見まわれるとき、イエスは山へ逃げなさいと言われる。殺伐としたこの世の中で教会は「主を待ちつつ急ぎつつ」生きる信仰共同体である。この事をわたしたちはどのように受けとめるのだろうか。