【みせかけの宗教】
ルカによる福音書20章45~47節

 「アイヌモシリで差別について考える」と題した第13回部落解放全国会議in北海道に出席した。19世紀に欧米の科学者たちは受刑者や、植民地の先住民の人たちの遺骨を集めた。日本では明治時代帝国医科大学(現在の東京大学医学部)の解剖学教授にはじまり、1930年代になると、発足したばかりの日本学術振興会の調査研究のなかで、北海道大学医学部の児玉 作左衛門は、北海道、樺太、千島列島から数多くの先住民族アイヌの人々の遺骨(頭蓋骨)を掘り出す。北海道大学には1000体のアイヌ民族の遺骨が研究の名目で保管されている。こうした発掘は「形質学研究」というかたちで1970年代まで続けられた。それに便乗するかたちで、墓から剣や玉飾りなどの副葬品が持ち出された。

 今日の箇所には、律法学者が登場する。イエスが神殿境内で教えられた時、祭司長、律法学者、長老たちが近づいてきた。「何の権威でこのようなことをしているのか」(ルカ20・1)そして最初にファリサイ派がイエスに論争を挑む。その次にサドカイ派が、最後に登場するのが律法学者である。共通するのは彼らがイエスを理解しなかったということである。イエスは彼らに対して、「あなたたちファリサイ派は不幸だ」と言っている。(ルカ11・43、46、52)

 イエスのこれらの発言が彼らに敵意を抱かせたと言うことは、容易に推察出来る。そのことが11章53節に記されている。そして20章ではファリサイ派、次にサドカイ派そして律法学者が登場する。ファリサイ派、サドカイ派、律法学者は議会、すなわちサンヒドリン(最高法院)のメンバーであった。イエスの時代、多数のファリサイ派もメンバーとなっていた。議会は70人(祭司24、長老24、律法学者22)で構成された。エルサレムの切り石の広間と呼ばれる部屋を議場とし、議会は半円形に配置され、安息日と祝日を除き毎日開かれた。そこでは国民の宗教生活の監督が主な任務であったが、民事、刑事を処理し、罰金刑、苦刑などに処する機能も与えられていた。

 イエスが「律法学者に気をつけなさい。」と言っているが、元々は王宮の書記官であった彼らは、イエスの時代になるとそれぞれが学派を形成して、人々を教える者となっていく。そのような律法学者に対して、イエスは痛烈な批判をする。その中でも最も気になったのが「寡婦の家を食い物にする」と言うイエスの言葉である。「律法学者」たちは裁判官、弁護士としてその様々な問題を処理した。しかし貧しい者たちが訴えてもその訴えは十分には受けとめられず、審議も不十分であった。やっとの思いで訴えたのに金だけ取られ、何らの解決にもならない人たちの悲しみと痛みをイエスは自分の痛みとして受け止めた。あの「寡婦と裁判官の譬え」(ルカ18・1~8)もそのような視点で見ると、当時の「小さくされた人々」の状況がわかる。

 人の痛みがわかると言うこととほど遠いのが、サンヒドリンに集うエリートたちの姿だ。そしてその姿をアイヌの人々の墓石を暴き、研究の名目で強奪した研究者にわたしは見る。人の痛みをわからず、教義を説き、正統主義であると自負し、異端審問をしてきた教会指導者がいた。

 弱く、差別される人たちの「視点」で考えることを教会はしてこなかった。イエスは彼らをみせかけの宗教者として批判する。律法学者は私たちの姿でもあるのかも知れない。私たちの教会も問われている。