特別伝道礼拝宣教
【黙祷 祈る日・希望の到来】
ルカ22章32節 
日本バプテスト連盟 東八幡教会 奥田知志牧師  

 マザーテレサは、「祈るために先ず、必要なのは沈黙です。祈る人とは沈黙の人である」と言っています。クリスチャンでなくてもわたしたちは祈ることがある。そして様々な要求を神さまにする。希望が見出せないとき、わたしたちは祈ることが出来なくなる。マタイの福音書「誕生物語」を読む時、イエスが誕生した後凄惨な出来事が記されている。時の権力者ヘロデ王は占星術師たちに騙されたと知り、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を虐殺する。母親たちは悲嘆にくれ絶望の淵に追いやられる。(マタイ2・16)そのような時にわたしたちは祈ることが出来ない。失望が大きければ大きいほどわたしたちは祈れません。

 大江健三郎講演集『人生のハビット』の中に「信仰を持たない者の祈り」と言う講演があります。彼はクリスチャンではないが、聖書を読み、教会についても作品を通して語っている。東京女子大学で語られたこの講演で息子光さんのことが語られる。重い障がいを負って生まれた光さんは、目も耳も不自由だと思っていたが、目が見えていることを知る。そしてその光さんが鳥の鳴く声に反応すると感じ、彼は鳥の声が録音されているレコードを全て買い、それをテープレコーダーに録音し直す。そしてその録音を聴かせる。ある時、光さんが「あれはクイナです。」とレコードに録音されているNHKのアナウンサーのトーンとアクセントと同じように鳴く鳥の声に光りさんは反応する。その時、彼は「外からの光が差し込んだ」と言っている。マザーテレサは祈りとは沈黙です。と言った後に「その沈黙を聴くことが祈りである。そしてその沈黙の中でわたしたちは待つのです。」と言っています。

 イエスが逮捕される前、ペトロは献身(22・33)の誓いをする。それに対してイエスはペトロに「鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言うだろう。」(ルカ22・34)と言われている。ペトロが裏切ることをイエスは知っておられた。そしてそのように裏切ったペトロに対してすでに「信仰がなくならないように祈った。だから、あなたたちは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22・32)と言われる。イエスはペトロのために祈った。わたしたちは「主の祈り」を祈る。この祈りはわたしたちが主に祈っている祈りであるが、実は主がわたしたちのために祈られた祈りなのである。祈れないとき、イエス様がわたしたちのために祈っていて下さるのです。

 年を重ねて物忘れが多くなった教会の長老(婦人)がおられた。すべての集会に出席し、教会員としてのつとめを果たしておられた。ある奉献の祈りの時、「神さまわたしはこの頃物忘れが激しくて…あなたのことも忘れてしまいそうです。」牧師として2年目のわたしはこの祈りに困惑した。しかし「わたしが忘れてもあなたはお忘れにはなられません。」その時、そこにいた者たちは一同で「アーメン」と唱和する事が出来た。イザヤ書49章15節、ローマ信徒への手紙8章26節には、祈れないとき母親がその子を忘れないように神さまはわたしたちをお忘れにはなられないと書いてある。祈れない時にわたしたちの祈りを執りなして下さり、わたしたちの祈りを適えて下さる。大江が言うように外から光がわたしたちを照らす。沈黙の時、その声に耳を傾けましょう。今日は一同で黙祷して、聖書の言葉を心にとめましょう。黙祷!                                            (文責真鍋孝幸)